カテゴリ:両親のこと
医師の診断は誤嚥性肺炎でした。 夏にコロナと誤嚥性肺炎で入院し、喉のリハビリをするために転院する予定でした。 しかし、喉のリハビリができる病院は少ないため、1週間経っても受け入れ病院が見つからず 「食事も飲み込めているので」と言うことで、喉のリハビリはせずに退院となった経緯があります。 結局、飲み込む力は回復してなかったんだと思います。 父は16年くらい前に舌がんになり舌の一部分を切除しているので 飲み込む力はもともと弱かったと思うし 老化に認知症もあって、仕方のないことだと思いました。 元気な頃から延命装置はしなくていいと言われていたので 積極的な治療はせず酸素投与だけして 食事も誤嚥性肺炎でしたが父が食べたいと言ったら食べさせるということにしました。 父は水曜日に入院し、週末まで持たないのではないかと思われました。 実際、その週末、病院からの電話で父の元に駆けつけましたが なんとか持ち直し 翌週末に帰省した妹も父と会うことができました。 そして、超、超、超低空飛行の状態が続き転院することになりました。 転院の日、父に付き添うため、私は公共の交通機関でK病院に向かいました。 出勤時間だったため、時間に余裕を持って家を出たら かなり早めにK病院近くの駅に着いてしまい 朝食も取っていなかったので 駅のカフェでサンドイッチとコーヒーを注文して受け取り 椅子に座ったところで病院から電話がかかってきました。 父の容体がが悪くなったため、転院は取りやめになり また、呼びかけても反応しなくなってるので早めに病院に来た方がいいと言うことでした。 買ったサンドイッチとコーヒーをテイクアウトにしてもらいながら 母に電話をしました。 母も父に付き添うため 病院に行く準備をしてタクシーを呼ぼうとしてるところだったそうです。 駅からK病院まで徒歩5分くらいだと思うのですが 両足人工股関節になって半年 手術前に比べたら歩けるようになってはいましたが 早歩き(と言っても、普通に歩いてる人と変わらないくらい)が精一杯。 それでも、さみしがり屋の父を一人で逝かせたくなくて とにかく必死で歩きました。 父の病室に入ると酸素マスクはしているものの 苦しんでるわけでもなく、眠ってるだけのように見えました。 「お父さん、豆うさぎだよ。もうすぐ、お母さんも来るからね。」 と父の手を握りました。 しばらくして母も病室にやって来ました。 母が間に合ったことに本当にホッとしました。 父は母と私に手を握られて穏やかに旅立ったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.20 15:44:31
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