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カテゴリ:ちょっと医学なお話
夏頃からずっと低空飛行を続けていたお爺さんが今日の夕方亡くなった。
この2日ぐらいまた熱が出て胸がゴロゴロ言って、今朝診に行った時にはひどい喘鳴で、ああもうこれはいかんなあと思っていた。 お婆さんは倉庫のようなところに入っていたので、何をしてるん?と聞いたら、いざと言うときに何処に何があるかわからなかったらあかんからと言うので整理をしていると言うことだった。 ああ、お婆さんもやっぱり解っているのだなと思った。 この90歳を越えたお爺さんを看病しているのは80後半の腰の曲がったお婆さんで、誰にも触らせずにひとりで世話をしていた。入院させたらと言う家族の勧めは、爺さんが入院したがっていないから家で死んでもかまわないと、布団じゃなくてベッドにしたらと言う訪問看護婦の勧めは自分が腰が曲がっているのでこっちの方がやりやすいからと断っていた。 隣に住んでいるこれも独り暮らしの初老のおばさんは、数年前にご主人を癌で亡くしてからご主人の故郷の徳島でずっと独り暮らしをしていたけど、この老夫婦の事を心配して時々覗きに来ていたらしい。お婆さんが爺さんの様子がおかしいとこのおばさんを呼びに行き彼女が電話をかけてきた。 家に行くとまだ体は温かかったけど呼吸も心臓も停止していた。 心臓マッサージも人口呼吸もしなかった。 耳の遠いお婆さんの肩を叩いて耳元で「おじいさん、息が止まっているよ」と伝えると、彼女はまた嘘を言うなと言う感じで僕の肘を叩いた。 「ほら、よくみてごらん。朝はゴロゴロ言っていたのが全然言ってないだろう。胸も動いてないだろう。お爺さんは息が止まって亡くなっているよ。」と言うと、今度はお爺さんの頭をぽんと叩いて「ほんまに、一生懸命看病しても看病した甲斐がないなあ・・」そう言ってお婆さんは大粒の涙をポロポロこぼして泣き出した。 普段は割と淡々と死亡をつげるのだけど、泣いている婆さんの背中をさすって頭を撫でて「お婆さん1人でよく看病したなあ。ご苦労様」と声をかけた。患者さんが亡くなったら、遺族を癒してあげるのがその患者さんにしてあげられる最後の役目だ。 この3ヶ月、週に何度も往診に行き、訪問看護婦さんは日曜もお盆も返上してご飯の食べられない爺さんの点滴に行ってくれた。そういうのも甲斐が無かったのかなあと思うと、ちょっとした脱力感に陥りそうになる。 僕だって、医者になってもう20年以上経ったし、死亡診断書だって多分100枚以上は書いていると思う。病気は治る病気ばかりではないし、医者は病気を治すだけが仕事ではないと頭では解っている。このお爺さんの死亡診断書の死因は誤嚥性肺炎だが、その原因は老衰。要するにこれは自然の経過のようなものだ。 僕が往診に行ったからこそ、訪問看護婦さんが点滴に行ってくれたからこそ彼は自宅で亡くなることができたし、彼の最後は1本の管も体に入ってなかった。まあ近くに住む息子さん夫婦が間に合わなかったのが少し心残りではあったが。 そういう風に思えば良いのは解っている。 解っているけど、どっかやりきれない気持ちは残るものだ。 死に往く人たちをずっと眺めて居なければならない仕事であるのは解っている。 けどまあ、これが医者の仕事だしね。人が死ぬのは当たり前だし。みんな死ぬんだし。 まあ家で死ねて良かったんじゃないの? そんな風に人の死に慣れていきたくはないと思っている。 上手く書けないけれど、人間の死に携わる者としてあまり感情的にならずに淡々と仕事をこなしていくべきではあるのだけど、それでも死に関してはいつも新鮮な気持ちで居たい。 他人が「彼は家で死ぬことが出来て良かったじゃないか」と慰めてくれるのは嬉しいしそれで救われるけれど、同じように考えて自分で自分を納得させるのは積極的にやりたくないなあと言う気持ちなのだ。 こういう割り切れなさをずっと引き受けていかないといけない。 それは医者の業みたいなものではないかと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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