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カテゴリ:日々の診療の狭間で
ふう・・・毎日暑いですなあ。
クールビズにしたり、ゴーヤーを植えたり、ひょうたんを植えたり、打ち水をしたり風鈴を吊したりするのも悪くないんだけど、一体この暑いのは地球温暖化のせいであって、その源は何か、我々人間はどうしたら良いのかと言うのを地球規模で考えないとあかんような気がするなあ。末端の枝葉だけ一生懸命いじくって満足していてはだめなような気がする。 と、大きな事を書いて置いて、暑さのせいなのか何なのかよく分からないけれど、相変わらず日記は滞りがちである。 と、言っても僕は元気。毎朝45分ぐらいのウオーキングはずっと続けているし、週に2回はスイミングもしている。 体重はまだ少ししか減ってないけど、そのうちど~んと来そうな予感がしてるのである。 数日前から、洗濯物の乾いたのを整理する場所に見慣れないTシャツが置いてあるのに気づいていた。 こんな奴だ。 子どもがユニクロででも買ってきたのかと思ったけど、それにしては柄がしゃれているし異国情緒がある。 自分では買った覚えがない。サイズ的には僕のシャツなのである。 配偶者に聞いてみた。 「あれはね、○○さんのオーストラリア旅行のお土産に貰ったの。ずっと着れなくて置いておいたんだけど、もう良いかと思って、出して洗濯しておいたのよ。」 ああ、そうか、あの人にそんなのを貰った事があったっけ・・。 彼女はうちの患者さんである。 いや、患者さんであったと過去形で言うのが正しい。 と言うのは、彼女は精神疾患を患って、ここ数年の治療はそっちが主体で、うちにはたまに来るぐらいだったし。 そして先日、彼女は亡くなってしまったからだ。その訃報は新聞で見た。 彼女は僕らより丁度10歳ぐらい年上のオバサンで、生活習慣病でうちに通院していた頃は、どこにでも居るような普通の、ちょっとなれなれしいひゃあひゃあ言う、憎めないおばさんだった。 それが親が病気をしてその看病で苦労をして。 親が亡くなったら、誰も看病をしてなかった兄弟や親戚が寄ってきて彼女を責めたり、つまはじきにしたり、そういう色々なストレスの中で、彼女は躁鬱病を発症したのだった。 それからは、主に精神科に通院して、何度か入院もしたらしい。 当院に来るのは、いつも燥の時で、突然やってきては大きな声で待合室で、ちょっと意味のわからい事を言ったり、「ここの先生は、ビールはエビスが好きなんでよ~~」なんて事を言ったり、順番が待てなくて他の患者さんを診察しているのに、いきなり診察室のカーテンを開けたりと言うちょっと困ったちゃんになっていた。 それでも、憎めない人だった。 燥なので、いっぱい買い物をして、いろんなものを僕ら夫婦にくれたりした。 僕もちょっと自分とは趣味の違うワイシャツ何ぞを貰って困ったりもしたものだった。 そんな彼女が燥なんだけど、ちょっと元気だったときに行ったオーストラリア旅行のお土産にとくれたのが、このTシャツだったらしい。 らしいと言うのは、直接貰ったのは配偶者で、他にもブランドの口紅とか沢山いろんなものを貰ったらしい。 燥の時期に貰ったものだけに、ホントに彼女が分かっていてくれたのかどうかそのあたりも不明で、お中元やお歳暮にくれたビールは飲んでしまったけど、それ以外の時に貰った品物に対しては、こんな風に使わずに置いておいたり、値段の高いものは、その場で丁寧にお返ししたりもしたと記憶している。 しばらく見ないなあ、同じく当院にかかっているご主人によれば、少し鬱がひどいと聞いていたので、またそのうち反動の燥が来たらやってくるだろうと思っていた。その矢先の訃報であった。 診察に来たご主人に聞いたところでは、食事中に食べ物をのどに詰まらせて、窒息し救急隊員の処置で一旦蘇生したけど、そのまま脳死状態になってその後に亡くなったと言う事だった。 年齢的に、食べ物を詰まらせるような年ではない。 恐らく鬱がひどいので、精神科の薬も増えて、筋力の低下や意識の朦朧状態があったのでは無いかと推測するが、それも彼女の運命だったのかなとも思う。 彼女が亡くなって、品物を返す相手もいなくなったし、もう良いかなと言うことでしまって置いたこのTシャツを配偶者が出してきて洗濯しておいてくれたのであった。 今日の午後、そのシャツに身体を通してみた。 最初、大きいかなと思ったそのシャツは、洗濯したせいか、もともとそれほど大きくなかったのか、残念な事に僕にはちょいときつかった。 残念である。 配偶者に来て貰うか、もしくは彼女の墓標としてそのままハンガーに吊しておこうと思う。 ハンガーに吊したTシャツが、窓から入ってくる夏の暑い風に揺れている。 そのシャツを着て笑っている、元気でひゃあひゃあ馴れ馴れしく喋っていたあの頃の彼女を笑顔が見えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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