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カテゴリ:幼稚園のこと
クラス便りを出すときにいつもアンケート用紙というか、ご意見ご要望ご感想なんでも書いてね、という紙をそえている。
でもめったにお返事はない(^^;) たま~に「家でこんなことがありました」とか「幼稚園でこんなことが楽しかった」とか書いて出してくれるととってもうれしい。励みになる。 ご意見ご要望も、参考になるのでありがたい。 でも、今日来たお返事には、ちょっと「え~っ?」と思ってしまった。 今は私のクラスは親子通園で、いつも親が一緒にいるのでいいけど、6月からだんだんと普通の園生活になり、子どもを預けて親は家に帰ることになる。それで、そのお母さんは、「トイレに行きたいとか、服が濡れたので着替えたいとか、言わなくても子どものサインを感じ取って声をかけてください。」と書いていた。 まあ、気持ちはわかるけど、はっきり言って、私にテレパシーはないので、それは無理!! 人がトイレに行きたいかどうかなんて、さっぱりわからない。 私の場合、我が子が小さいときだってわからなかった。(勘のいいお母さんはわかるのかもしれないけどね~)よっぽど誰が見てもわかるような動きをしてればわかるかもしれないけど…(^^;) 服が濡れたっていうのも、水遊びしてびしょびしょならともかく、ちょっぴり裾が濡れたとか、人知れずちょっとパンツが漏れたなんてのは、本人が言わない限りまずわからない。 勘が悪くて気がつかない、薄情な担任!そんな人に担任してもらいたくないわ!と思われるかなあ。 でもねえ、しゃべれない赤ちゃんだって、お腹が空いたとかおむつが濡れたって時には泣いて教えてくれるでしょう?それなのに、3歳になってしゃべれるのに、何も言わなくてもわかってほしいわけ? トイレに行けないのなら、「ついてきて」と言ってほしい。失敗して濡れたら、たった一言「濡れた」と言ってほしい。言葉で言えないなら、手を引っ張ればいい。お母さんも、「サインを感じ取って」なんて頼まないで、「困ったら先生に言うのよ。」と伝えてほしい。 そりゃ先生は他人だ。お母さんと違って、言いにくいだろうし恥ずかしいだろうし、勇気がいることはわかる。だけど、今まさに子どもたちは「社会」に足を踏み出したのだ。これからはどんどん他人の中で、してほしいこと、してほしくないこと、いやなこと、自分の思いを伝えて生きて行かなくてはいけないのだ。 もし勘のいい人たちに囲まれて、「おしっこいきたいな~」と思ったら誰かが連れて行ってくれ、「困ったな~」と思ったら誰かが来て助けてくれて、何も言わずに困らずに生活することができたら…そしてそのまま大きくなったら、「何も言わなくても人はわかってくれて思い通りに動いてくれるんだ」と思ってしまう。それは恐ろしい思いこみだ。 「まだ幼稚園に入ったばかりだし…。」「まだ3歳だからかわいそう…。」って反論されてしまうことも多いけど、まだ3歳だからこそ、失敗しても目立たないし、立ち直りも早い。今だからこそ、「失敗しちゃった。先生に言えばよかったな」「先生に言ったら、助けてくれた」「困ったときは、言えばいいんだ」ということを繰り返し体験してほしい。そのために、わざわざ家庭から出して他人の中に我が子を預けるのだと思うのだけど…そうじゃないのかなあ? だいたい、お母さんが先回りして心配しているだけで、子どもは案外たくましい。最初は先生に言いにくいかもしれないけど、小さければ小さいほどすぐ慣れる。「自分の思いを人に伝える」というのは生きていく上で重大なスキルで、それがなかったらどんなに不便で、どんなに不幸か。それを学ぶチャンスを親の安心感のために子どもから奪ってはいけないと思う。 さてさて、そういうことを、過保護お母さんにわかってもらわなきゃなあ…。いかにして「冷たい先生」と思われないように伝えるか、それが問題だ(^^;)ヘタしたら、「能力がないことの正当化」になってしまうよなあ…。 最近の保護者は「お客様」なので、こちらとしてはあまりきついことが言えないのよね~(^^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.05.25 07:33:50
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