父の死・・・
先週、父が亡くなった。2年近く前、脳出血で倒れて以来手術で命は取り留めたものの、病院を3つ転院しながらの入院生活。どんどん弱っていく姿。最後の方は私や弟が会いに行っても認識もしてくれないような感じだった。いつかこんな日がくるとずっと覚悟はできていた。数日前から、「そろそろ危ない」と聞かされていた。だから、母から「駄目みたい・・・」と電話をもらったとき「ああ、とうとうか・・・」と。それから色々大変だった。大体の準備はしていたものの、あたふたしてしまった。「落ち着け、落ち着け・・・」ダンナと、子供の学校に電話できたのは数十分後。スーツケースに荷物を詰めて、新幹線に飛び乗ったのは、数時間後になってしまった。弟は母からの電話の後、さっさと品川から新幹線に飛び乗り、葬儀屋との打ち合わせに参加してくれていた。母や父の兄弟もそばにいてくれた。良かった。翌日、通夜の前の「湯灌の儀」で初めて父にあった。涙というより、嗚咽が止まらなかった。「湯灌の儀」というのは初めての経験だった。まだ若い男のひとが、父の体を洗ってくれた。シャンプーも髭剃りも丁寧に丁寧にしてくれた。大変なお仕事だと思った。そのあとの、通夜そして告別式。本当に沢山の人が来てくれた。私の父の葬儀なのにダンナの弟の嫁さんまできれくれた。普段そんなに親戚づきあいをしていないのにこういう時は来てくれるものなのかぁ。そうそう、うちの子供も頑張りました。葬儀屋の司会の方から「お孫さんから、おじい様にお別れのお手紙を読みませんか?」と提案されたの。きっと嫌がるかと思ったのだけど「ぼく、がんばる」と。本番まで私には見せてくれなかったその手紙、250人もの黒い服を着た人たちの前でたった一人で祭壇の前に立ち、マイクの前で紙も見ずに堂々と話した。聞いているこっちが緊張した。ダンナも「うるっときてしまった」らしい。さっきまでゲーム好きな息子を問題視していた叔父たちも「この子はすごい、きっと大物になる」と態度を一変させた(笑)母の喪主の挨拶も立派だった。私も大丈夫なつもりだったけど。母や弟と別れて自宅に戻ってきたとたん怖くなってきたのだ。夜は金縛りにあった。ふぅっと、体から抜け出してしまいそうな感覚。怖くて怖くて。暗い所が怖くてならない。母にその話をすると私の心がそういう現象を引き起こしているのだと。楽しいことをしなさい。楽しいことばかり考えなさいと。喪に服さなければならないものかと思っていたのだけれど。おかげで気持ちが楽になったせいか昨夜は怖い思いはせずに眠ることが出来た。ので、ブログなんて書いている。わたしって案外弱虫なのかな。母はやっぱり強いのだ。火葬場で棺が入れられていくとき「嫌・・・」と言って嗚咽していた母の姿はあまりにも痛々しく、どうやってこの母を救ってやろうかと思ったのだけれど昨日の母はこう言った。「あんた一人で怖いんやったら、お母さんそっちに行ってあげるわよ」ははは・・・これって逆じゃないの。私ももっと強くなりたい。「立派な大人になる」と父に語った子供のために今日も美味しいおやつを作り「勉強しなさい」とお尻をたたいてやろう。