雨の中の「アンダンテ」~生誕100年 東山魁夷展~
半月以上前の話題で恐縮ですが。。8月の終わりに、長野県信濃美術館の、東山魁夷館に行ってまいりました。「生誕100年 東山魁夷展」と題した大規模な展覧会の会期末が迫っていて、あらかじめ、主催の新聞社より、早割前売券を購入してあったため、「なんとしても行かなくちゃ」と意気込んで、混まない平日を選んで、ひとり、高速バスに揺られてのショートトリップでございます。ランチに利用するつもりで楽しみに向かったカフェは「本日臨時休業」の張り紙。う・・、残念。仕方なく、善光寺通り(中央通り)をうろうろ。やっと探し当てたランチタイムの看板は、見上げるほど立派な元老舗旅館のものでした。こんなところがあったのね!と、アールデコ調の意匠のエントランスに吸い寄せられるように足を踏み入れ、ロビーに通されたあと、メインダイニングへと案内されました。 落ち着いた照明のあるロビーのテーブル 和風庭園を眺めながら、レトロモダンの雰囲気が漂う、居心地の良い空間でいただくイタリアン。ほどよく混んでいるメインダイニングは、さまざまな人々の声が重なり、音楽のように聞こえてきます。てきぱきと働く、お若い方々のさわやかな接客がうれしい。食事を終え、エントランスを出る時には、「どうぞお気をつけて。雨も降りだしたようでございますから。」と、声をかけられました。ほんと、外はいつの間にか、しとしとと歩道を濡らすやさしい雨。傘を持ってきてよかった。平日でも人でいっぱいの善光寺の境内を通り、東山魁夷館へ。途中の公園で「東京よりずっとよかったわね!あんなにたくさんいろいろな絵があるなんて!」と会話する年配のご夫婦にすれ違い、おそらく、春に東京で開催された、同じく画伯の生誕100年を記念した展覧会のことをおっしゃっているのかしら・・と、期待で胸を膨らませながら到着。 前回ここを訪れたのは、もう13年も前のこと。あの頃とは、中の様子もずいぶん変わり、展示室も増設された上に、カフェまでできたようです。会場は、6つに分かれていました。それにしても、思っていた以上に、人の数の多いこと!画伯の衰えない人気ぶりが、ここでもうかがわれます。第1会場から、入って真正面、大正12年(15歳)に描かれた自画像に目が留まります。現存する唯一の油彩作品とのことで、「絵が描けてこんなにうれしいことはない」という思いが伝わってくるような、制帽姿の画伯の、まだ幼さが残る清々しいお顔が微笑ましく、瑞々しい感性を宿しています。たいへん印象的な絵でした。月宵は、丘に立つ裸木が月光に淡く浮かび上がり、画面の上方のほの白さが、さらなる上空に、確かに月が存在している証しなのだと、絵を見る者の想像力をかきたてます。「個人蔵」とのことで、二度と目にする機会はないかもしれない・・。この絵も、強く印象に残りました。ドイツ留学時に描かれたスケッチ群は、緻密な筆運びが目を引きます。たにまのスケッチ群は、たにまというひとつ大きな作品になるまでの長い軌跡が見て取れ、画伯の探究心の深さと、真摯な姿勢が、こちらに迫ってきました。「ヨーロッパの風景」の会場では、画伯が北欧旅行で出会った、手つかずの自然の美しさを、独特の構図や色使いで表現しています。「過酷な条件の中での生の輝き」に心を打たれた画伯の思い入れの強さ、そして私の北欧への強い憧れが相まって、北欧をテーマにした数々の絵には特に感銘を受けました。今から20年以上前に求めたユネスコのポスター二つの月の原画もここにありました。毎日眺められるように、家の2階の廊下に置いている、大好きな絵。ヘルシンキの白夜の、なんという空の色。ぐっと近づくと、幾重にも塗られた絵の具が立体感を際立たせ、丁寧に丁寧に筆を運んでいる画伯の仕事ぶりが見てとれます。感動的な出会いでした。題名の書かれたプレートには、「紙本彩色」と共に「個人蔵」と書かれていました。黒い森と、白く光る湖の対比、独創的な遠近感のある白夜光も黒のさまざまな表情が美しく、ずっと見ていたいような、遥かな気持ちになりました。次なる会場のテーマは、有名な「白馬のいる風景」。ごく最近、液晶テレビのCMで、吉永小百合さんと“共演”した緑響くもここに。この白馬のテーマの会場は大変な人だかりで、あまりゆっくり見ることができませんでした。川端康成氏が「今、描かなくてはいずれ失われてしまう風景」と、画伯に強く京都行きを勧め、画伯はのちに京都を取材し、いくつもの作品を残しています。「日本の風景」の会場では、直線的な京都の街の瓦屋根に、しんしんと雪が降り積む中、あたたかな灯りが家々から洩れている年暮るが、静かで深い感動を与えてくれました。水墨画、唐招提寺の障壁画の会場は、ここもまた人が多く、早足で駆け抜けてしまいました。そして、最後の最後にたどり着いた夕星。東山画伯の絶筆です。二つの月 緑響く 静映と同じく、湖に映った上下相称の風景画。日が沈んだあとの、仄暗い西の空に、燦然と輝く金色の星がひとつ。画面中央には、1本のスッと伸びた高い木と、それより少し低く、こんもりとした3本の木が、寄り添うように並んでいて、背景の丘とともに、湖に映っています。解説によると、これは画伯が夢の中で見た風景だといったとのこと。この木は杉で、4という数は、画伯が先の戦争で失った家族の人数に重なり、また、背景の丘は、画伯が生前に買い求めた墓所からの景色に酷似しているのだそう。『「辞世の句」ならぬ「辞世の画」として、東山が意図した作品であるように思われてならない。』・・と、結んでいました。近寄って見ると、金色の星は、それはそれは美しい形で丁寧に描かれていて、そこだけ、金色の絵の具のふっくらとした厚みがありました。杉の木は、なんだかこちらを呼んでいるようにも見えます。向き合っていると、自然に涙が出てくる、静けさの中に深遠なる悟りと啓示とが共に感じられる、静謐な1枚でした。美術館をあとにする前に、ふと思い立ち、会場を早足で逆行して、もう一度二つの月に会いに。ヘルシンキの白夜の湖と月を、強く目に焼きつけました。展覧会を見終えて思ったこと。以前から感じていたことなのですが、画伯の作品には、総じて大自然への畏怖・畏敬の念と、その大自然を前にしての、ご自分の謙虚な思いが全面に表れているように思われます。「描く」ことで、大自然とご自身とを対峙させ、さまざまな自然の事象に影響を受けながら、年を経るごとに厚くなってゆく木の年輪のように、揺るぎない「東山ワールド」を確立していったことを、年代ごとに並んだ画伯の絵から、つぶさに感じ取ることができました。「畏敬の念」「謙虚さ」。どちらも、現代社会で我々が忘れがちな気持ちや姿勢。画伯の絵は、そっとそれを思い出させてくれました。さて、美術館には、画伯の画集、著書、絵はがき、複製画、ステーショナリーなどを販売するミュージアム・ショップがありますが、まあ、ここも溢れんばかりの人だかり。その熱狂的な空気の中に混じって、私が買い求めたものはこれ。 緑響くをジャケットに使用した、モーツァルトの曲を集めたCDです。全9曲が収められ、すべて、第2楽章のみ。今から20年ほど前、レコード会社が企画した「著名人の選んだクラシック曲」というCDのセット商品で、モーツァルトをこよなく愛する画伯が選者のひとりとなって作成されたCDだそうです。中でも、ピアノ協奏曲第23番の第2楽章は、白馬のモチーフが誕生するきっかけとなった曲とのこと。このCDでは、ハイドシェックの弾くピアノで聴くことができます。9曲のうち、4曲が「アンダンテ」。そう、「歩くような速さで」の意味の音楽用語です。ほとんどの曲が緩徐楽章である、第2楽章ならではのテンポ指定ですね。私は、長野駅からこの美術館まで、ずっと徒歩で来ました。そして、帰り道も、しとしとと風情ある雨の中、沿道のお店を素見し、傘に当たる雨の音を楽しみながら、再び、駅まで歩くつもり。画伯の数々の絵から享受した、大切なものを胸にしまって。・・いい一日でした。拙い長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。