今朝、久しぶりに面白い夢をみて憶えていたので、
メモがわりに記す。
いつか、この夢の意味がわかるかもしれないっと思って。
夢は相変わらずみているのだが、
最近は夢を憶えておこうという気が薄れたからか、
こんなところにいたなあ・・・っと
目が覚めたときに思うが、それ以上詮索しないことが多い。
今朝もうろ覚えだがそれでも憶えているところを書こうと思う。
こうして書いていて思ったのだが、最近私は夢で
少し先の世界へ行っていることが多い感じがする。
おそらく亡き母と一緒にいた。
どこか、、、町おこしのテーマパークのようなところの
ゲートを通っていた。
中には子供服を売るお店があった。2階建てでたくさん子供服が置いてあるのをみた。
私の視点はどうもその店の2階と同じ高さにあった。
あれ?甚平さんが売ってる。息子が欲しがるかな?
っと思ったら、横に母がいるのに気がついて(夢のときにはこの時に母を認識した)
母は、あの甚平さんを息子に買ってやりたいと思っているのも感じた。
母と二人で、人工的な公園の池のようなところだが、
公園の池よりは、小さなプールぐらいの大きさ
円形で深さはないが、直径7.8mあっただろうか・・・
にいた。
水は浅いけれど、その中に座っていた。けれど不思議なことに
水の感触もなく、濡れたりすることはなかった。
少し離れたところに、噴水をおいてあるような、少し高くなっている場所があって、
そこには子供達が50人ぐらい集まっていた。
その中を息子がひとりの男の子に追いかけられていたのだが、
実に器用な身のこなしをして逃げていた。
追いかけていた男の子は、どうしても、どうしても息子を捕まえることができなかった。
追いかけっこをしていたところは、
カウンターテーブルのような高さの狭いところで、やはり円形をしていた。
息子はそこを器用にすばやく、ぐるぐる回って走っていた。
私は息子がその上から足を踏み外して怪我をしないか!!っと気が気ではなかった。
しかし最後まで息子は捕まることはなかった。
それを評価されて、追いかけっこが終わったあと、息子は
子供達の誰かから、大きなケーキのような菓子パンをふたつ手渡されて、
私のところにやってきて、それを あげるよ! っといって私に渡した。
手渡されたパンをビニール袋を開けてみたら
実に美味しそうなパンだった。
それを母に勧めたけれど、母はいらない っといった。
私はそのパンを一口食べたか食べなかったか記憶にない。
視点がその小さなプールのような池に移った。
水はとても綺麗で澄んでいた。
不思議なことにその池の中にはたくさんの木が生えていた。
まるで根っこがそのまま枝になり、枝がどんどん分かれていって
たくさんの木になったようだった。
水中はそういう枝でびっしりだったけれど、
まだそれほど水上にでて枝を伸ばしているわけではなかった。
私の近くから男性の声がきこえた。
隣に存在を感じるというよりは、テレビの中のナレーターの声を聴くように、
どこからともなく私に語りかけていた。
その声は、、、、
この村は、以前自然災害にあい、村で大切だった(何で大切だったかは定かではない、
民芸品なのか、生活なのか?、ただ未来世界だったようだったので、
薪にしていたわけではないのはわかった。おそらく村の産業の資源だったのだろう。)
この木が壊滅状態になってしまっていた。
人々はこの木を復興させようと、何年も、何年も一生懸命になって作業していた。
ところが不思議なことに、この池から、人が何もせずとも
枝が生えて、枝は瞬く間に枝分かれして、そこから新芽が出てきて、
その枝はまたいくつもに分かれ、急速に広がっていったのだった。
みると、水の中から息子の脚のような細い枝がみえ、それが
次々に枝別れしていって生育していく様がスライドショーの画像のように
私には見えていった。
どうやらここは日本のある町のようだった。
なぜならその木の名前はどういうわけか、
”つむぎ(積む木・積み木)”という名前だったからだった。
夢の中では 紬??? っと想って あれ? っと思ったのだが、
あれは 積み重なるように生えていく木 という意味もあったのかもしれない・・・
っとこれを書いていて想ったのだった。
なんとなく・・・
今後日本が震災で大被害を受けた土地の復興が、
思いもかけず、急速に進んでいく、しかも人為的にではなく、
自然の力、土地の力、水の力で、それが町、村の復興を支えるのではないか?
っと想った。
ぜひ、そうあってほしいもの・・・っと私は願っている。
頑張れ、ニッポン!!
大和の土地、大和の国、大和の国の人々!!
✿おそらく林檎の花❀
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