意識を変形自在にする
夢は、感情や意識が我が物顔に、生き生きとしている自由自在の世界で,夢の世界の中では、どこまでも伸び、広がっていけるはずの意識が、うつつの世界に慣れきって、無意識に刻み込まれた肉体感覚や、固定観念・論理性によって意識の無限性が抑制・抑圧・限定されてしまう世界でもあります・・・っということはこの前の記事に詳しく記しました。今回は、意識が、自由自在の世界で無限であるために、肉体のあるうつつの世で、どんなことが重要になってくるかについて書きます。なぜなら、私たちはいずれ・・・ 夢の世界のような、思念・意識の世界へと戻っていくからです。死とは肉体の終わりですが、別の世界での始まりを意味しているに過ぎないからです。夢の中では、心や感情、思念ではなく、意識であること、つかみどころがないような、水のような、自由自在に変形可能なような、そんな状態に意識を保って置くことの方が、感覚を研ぎ澄ますことよりも、夢の世界ではず~~~~~っと重要になってくるのです。っともこの前の記事に書きました。以上の理由から、まず私が最初にここ(うつつ)で始めたことは、感覚を研ぎ澄ますことをやめることでした。感覚や感情、心には、できるだけぬるま湯に浸かっていただくことにしました。意識が、 ”個人的な独自の感覚や、個人感情の影響を受けないように” できるだけ心がけています。感情の変化があっても、それを眺めるようにしてます。簡単にいってしまうと、夢の中だけでなく普通に生活しているときも、できるだけボケ~~~~っとしている っということです。それでも、オイ、みてみろよ~、聴いてみろよ~、触ってみろよ~!!などと、五感が強く訴え、心や身体が自ずから動き出してしまうものが、自分が受けている 霊感(inspiration) だと思うようになったからです。現(うつつ)はどうしても身体に縛られ、限定され、五感がフルに活動している世界で意識は、最小限に押さえ込まれ、潜在してしまいます。しかしうつつにあっても、潜在している意識を感じ、意識がキャッチした何かに突き動かされるように心と体を動かすことが大事だと想うようになりました。多くの人には、身体は本能と結び付けられて低次元だと思われてしまいますが、、、、実は心のほうが曲者!! っと私は思います。身体や本能は、その仕組みや、動きを、個人的な感情・感覚抜きにして、眺めてみると、水のように形のない変形自在の意識、高次元の意識と直結しているように想われてきました。身体や本能は正直で、嘘がつけないのです。そこに、おそろしく嘘つきで、偽りに熟練している、心の動きや働きが入ると、身体や本能は恐ろしく混乱させられる場合があるんです。私はそれを、空手の組手をしていて察知しました。組手のように身体に一瞬の隙も許されないような極限・必死な状態であっても、心はぬるま湯に浸からせておく心は使わないほうが、身体が動くし、五感がフルに活動します。そしてこれは、空手とか組手とかの特別な状態にだけ、あてはまることではありません。心象は人に影響を及ぼします。多くの方がご存知であるように、恐怖心、緊張感 などは 身体を硬直させてそれだけで 力が出せない のです。夢の中のような疑似体験においても、また、実際に体験していることでも心象が思い描いたものが ”実権” を握っているのではないか?っと私は思うようになりました。実際に体験したことでも、記憶に残っていなければ、影響力がないんです。実体験であっても、すっかり忘れてしまっている事柄よりも、疑似体験でも強烈な心象を残している出来事の方がずっと ”人の心” は影響されると思っています。心の動きは厄介です。 心は恐ろしく嘘つきで欺くのが上手で、しかも次から次へといろんな、新しい 想い を生成して、意識と同じように、限りが無いのです。その厄介な心象の影響を強く受けないためには弛緩 が大切なんです。心はぬるま湯に浸けておけっと私が何度も何度も記しているのは心象の与える悪影響がいかに大きいものか!っということをお伝えしたいからなんです。(もちろん、心象が良い影響を与える場合も多々あります。)多くの病の原因はストレス っということが言われています。そのストレス・プレッシャーを人に与えているのは 心・感情の動き なんです。にほんブログ村