客観に身を投じるならば・・・2
T.S 様
ここ
(”自分自身が、自分自身の加害者であり、被害者になる”)
まで思い至ったわたしは、以前以下の記事を記しているうちに、
なんとなく自分が感じたことを思い出したのでした。
A balance ~感性でとらえる~
私はこの記事を記している裡に輪郭が見えてきて、
そして段々とはっきりしてきて、
ゾッと 身震いを感じたある地点を思いだしたのでした。
その地点とは、
ここまできて方向を誤ると大変な危険がある、
そしてそこは、誤ったら最後、奈落へまっさかさまの崖っぷちだ
っと感じた地点です。
わたしはその時、崖っぷちからはかなり距離を置いて、
その先の深淵を感じただけだったのですが、
崖っぷちの輪郭が段々はっきりしてきて、目の中に飛び込んできて、
ただそれだけで、あまりのオソロシサに、そのあと近づくことができなかったのでした。
Tさんの文章でわたしには、再び同じ景色がみえたのだと思います。
だからわたしは、過敏に反応したのだろうと思います。
再び同じような現象がわたしの裡で起こった
そう、これは、わたしのなかの出来事でもあったし、あるのです。
過去のわたしの記事の中ではこの崖っぷちについて、
以下のようにわたしは表現していました。
******************
以下引用
balance感覚 を行使して過去・現在、未来 をみる
感性で物事を捉える
言葉にしてみると、なんて簡単で素っ気ないのでしょうか!!
・・・・・・・
しかし、ここにも大きな落とし穴が潜んでいると私は感じているのです。
客観に陥いることは、主観に陥るのと同じぐらい弊害がある と感じているのです。
徹底的な客観に身を投じるならば、
主観も徹底的に撲滅していかなければ、大変危険であると私は感じているのです。
以上引用
*******************
そして以下が今わたしにみえる景色です。
客観に陥いることは、主観に陥るのと同じぐらい弊害がある と感じているのです。
弊害どころではなく、、、こゝろをおろし金ですられていくような拷問。
徹底的な客観に身を投じるならば、
主観も徹底的に撲滅していかなければ、大変危険であると私は感じているのです。
その危険とは、
自分自身が、自分自身の加害者であり、被害者になるというとんでもない危険、
これは眠っているときでさえ、夢の中でさえわたしを監視していて、
わたしのことは全てしっていて、
そして何かあるとわたしを問いただし、責めて、そして裁こうとしている監視役が
ついて回っているような拷問。
間に立つものがないので、加害者に仕立て上げられたものが、
壊れて被害者になりそうであっても責め立てられ続ける・・・
こゝろとは、、、、、
弁護士にもなれば、検察官になってしまう。
そして己を裁こうとする。
どんな判決を得るがために?
無罪? 有罪?
罪状は?
執行猶予はあるの?
はたまた
死刑
被告者は誰?
加害者は一体誰?
それは
あなたなのですか?
わたしなのですか?
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