食物アレルギー
今日は私がリーダーになっている食物アレルギーの子をもつ親の会の日だった。主治医がバックアップしてくれて、細々と病院の会議室で月に一回親同士集まっている。私の病気の為1回だけお休みしたが、もうすぐ2年が立とうとしている。 重症患者の集まりで皆それぞれ苦労してきた。0歳児の頃入院していた時に同室だったおかあさんもいて、もうお互いの子供が小学4年生で元気に学校に通ってくれていると思うと月日の立つのは早いものだ。 子供が赤ちゃんの時は離乳食何を食べさせたらいいの・・食べさせるものがない。アトピーもでるし、喘息もでるし、ひどい時にはアナフィラキシーを起こして救急車を呼んだりしないといけない。普通の人が食べても何もならない卵や牛乳を飲んで生命の危機に陥るなんてなんて不合理な食物アレルギーと思ってしまう。 幼稚園、小学校に上がると給食の問題がでてくる。息子が通った幼稚園は週に3回給食だったが業者のお弁当だったので業者からお弁当箱を借りてそれに似たようなおおかずをつめて毎日もたせた。それで3年間のりきった。小学校が完全給食なので入学前から校長先生に会ったりしてどういう方針で行くか話し合った。うちの子は小麦と卵が全然食べられなかったので、パンや麺の時は米のパンや麺をもたせた。麺の時はランチジャーにお汁と麺をいれて重たいけどがんばって持っていった。私が給食時にもっていくのは可能だったけど自分でもっていって、学校の食器にいれかえて自分で食べていた。小学校によっては親が付き添ってくださいという所もあったが、学校の時間中に親がいつも顔をだすのは本人にとっても負担になるということで全部自分でさせた。ケーキ給食の日もあわ粉で作ったケーキをもたせた。他の子とちがっても恥ずかしがらずに食べてくれた。もちろん給食開始の時にクラスの保護者にむけたお手紙をかいて、アレルギーへの理解をお願いしたのでからかう子も誰もおらず、皆そっと見守ってくれた。 担任の先生も1年から3年まで毎年かわったがどの先生も私と子供の気持ちに沿うようにとても努力をしてくれた。今年は昨年と同じ先生で私の入院中もこれは食べられるもの、除去してもらうものと先生と栄養士さんで判断してくれた。毎月1回担任と栄養士さんと私で話し合う場をもうけてきたのでとても理解してくれている。1年生の時とちがって今では小麦も食べられるようになり、卵そのものやマヨネーズなどはだめなので学校で除去してくれるもので対応できるので家から持っていく事もなくなった。 喘息とアトピーと食物アレルギーで本当に大変だったけど、主治医や周りの人たちに随分理解してもらい助けてもらって、嫌な思いもせずにすくすくと子供は育ってくれた。今までの経験をいかして今現在小さな子供をアレルギーで悩んでいるお母さんに元気をだしてもらうために細々であるが、月1回集まりを開いている。主治医は病気を見るだけで精一杯なのでおかあさんの悩みまでは自分ではなかなかフォローができないので親の会でおかあさんたちの心のフォローをしてくれたらと私に頼まれた事がきっかけだが、会に参加して暗い顔していたおかあさんが明るい顔して帰るのをみると嬉しくなる。