|
カテゴリ:継体天皇あれこれ
福井県とゆかりの深い継体天皇が来年、即位1500年という節目を迎えるにあたり、県民の関心が日ごとに高まっているようですが、私も継体天皇に関することを少しでも紹介できたらと思っています。
県都福井のシンボルの一つ、足羽山の三段広場頂上には、北方の九頭竜川河口(三国方面)に向かって、継体天皇の巨大な石像が立っています。これは明治17年(1884)、越前地方の開発に尽力したと伝えられる男大迹王(おおとのおう=後の継体天皇)の遺徳をしのび、福井市内の石屋さんが建設したものです。規模はしゃく谷石製で高さ4m余り。昭和23年(1948)6月の福井大震災で倒れ、胴から真っ二つに割れて鼻も欠けたそうですが、その4年後に再建されました。 男大迹王が越前地方を開発していた頃の越前の様子は、平地には大きな湖沼があって、足羽山は浮き島になっていたとか。このため、雨が降るたびに九頭竜川などの三大川が氾濫していたといわれています。そこで男大迹王は、水害を防ぐため、三国付近の河口を切り開く大工事に着手、湖沼の水が海(日本海)へ流れ出るようにしたと伝えられています。 このような背景があって、石像は北方を向いているようです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月27日 20時57分50秒
コメント(0) | コメントを書く
[継体天皇あれこれ] カテゴリの最新記事
|
|