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2006年09月26日
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カテゴリ:継体天皇あれこれ

福井県とゆかりの深い継体天皇が来年、即位1500年という節目を迎えるにあたり、県民の関心が日ごとに高まっているようですが、私も継体天皇に関することを少しでも紹介できたらと思っています。

 

足羽山にある継体天皇の巨大な石像


県都福井のシンボルの一つ、足羽山の三段広場頂上には、北方の九頭竜川河口(三国方面)に向かって、継体天皇の巨大な石像が立っています。これは明治17年(1884)、越前地方の開発に尽力したと伝えられる男大迹王(おおとのおう=後の継体天皇)の遺徳をしのび、福井市内の石屋さんが建設したものです。規模はしゃく谷石製で高さ4m余り。昭和23年(1948)6月の福井大震災で倒れ、胴から真っ二つに割れて鼻も欠けたそうですが、その4年後に再建されました。

男大迹王が越前地方を開発していた頃の越前の様子は、平地には大きな湖沼があって、足羽山は浮き島になっていたとか。このため、雨が降るたびに九頭竜川などの三大川が氾濫していたといわれています。そこで男大迹王は、水害を防ぐため、三国付近の河口を切り開く大工事に着手、湖沼の水が海(日本海)へ流れ出るようにしたと伝えられています。

このような背景があって、石像は北方を向いているようです。


石像の説明文
の一部
「継体天皇は、6世紀前半に在位し、名はおおとという。日本書記によると、応神天皇5世の孫として天皇に擁立された。父は、近江(滋賀県)の豪族彦主人王(ひこうしおう)、母は越前(福井県)の豪族の娘、振姫(ふりひめ)とされ、父の死後は越前で育ったといわれる。福井には継体天皇による九頭竜川の治水、しゃく谷石の採掘などの伝説が数多く残されている。この石像の立つ二段広場と呼ばれる小丘は、実は直径60m高さ10mを計る4世紀に造られた古墳である。公園を造るときにその形を大きく削られてしまい、本来の古墳をしての形を留めていないが、円墳としては県内最大規模で山頂古墳と呼ばれている。山頂古墳は、図形の刻まれた石棺、三角縁神獣鏡が二面出土していること、また、近年の発掘調査で、埴輪が置かれていたことが明らかになり、その重要性は高く評価されている」






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最終更新日  2006年09月27日 20時57分50秒
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