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カテゴリ:朝倉遺跡あれこれ
ところで秀吉の唐門寄進説については、建築の歴史や門の風化具合などからそれを疑問視する向きもあるようです。建築の歴史でみると江戸時代半ばよりちょっと前のものといわれ、柱の風化具合をみても豊臣秀吉の時代に遡るものではないという。しかし一方では、江戸時代中頃に立て替えられたとみる向きもあり、そうだとすると、秀吉寄進の唐門が江戸時代に立て替えられたとの見方もできるようです。とはいえ、唐門に関する文献が出てきていないので定かなことは分からないといわれています。 ちなみに、朝倉時代の西側正門には、足利義昭も出入りした立派な御成門(おなりもん)が建っていたと考えられており、それは特別の場合しか開けない不開の門(あかずのもん)だったようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月29日 14時53分05秒
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