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2007年02月03日
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カテゴリ:継体天皇あれこれ

日本名山の一つ、白山を水源とする越前(福井県)の九頭竜川、加賀(石川県)の手取川、美濃(岐阜県)の長良川・庄川の流域では、6世紀には白山信仰が生まれていたと考えられています。白山は加賀(石川県)、美濃(岐阜県)、越前(福井県)の国境にそびえ、平野部が広がるそれらの流域からは霊峰白山がよく見えるといわれていますが、5世紀半ばから6世紀に九頭竜川流域で活動していた男大迹王(おおとのおう、おほどおう=後の継体天皇)またはその子供らも、美しい白山に向かって祈り、神社らしき建物でも神にお祈りしていたような気がします。

男大迹王またはその子供らの時代には既に、神社のようなものがあったのではないでしようか。というのは、縄文時代の人々は、山などの自然のものには神が宿ると信じ、山に向かってお供えをしてお祈りをしたといい、弥生時代になると、山がよく見える所にある岩をその山に見立てて岩に祈るようになったという。やがて、岩の前に建物を建ててその中で神にお祈りするようになったといわれており、これが神社の始まりと考えられているからです。

ところで、自分たちの祖先たちを祀ることが盛んになったのは、奈良時代に入ってからと考えられています。この頃になると、祖先が同じ人の集団を「氏」、自分たちの祖先を「氏神」、自分たちのことを「氏人」とそれぞれ呼ばれていたようです。しかし今は氏、氏神の対象が変わっており、氏神とは地域神社の祭神をいっているようです。例えば私たちの氏神といえば藤島神社の新田義貞公(私たちが住む町は新田義貞ゆかりの地参照)ですし、もう少し大きくみれば、福井県ゆかりの偉大な継体天皇(私たちの住む町は継体天皇ゆかりの地参照)も、私たち地域の氏神といえるようです。

ちなみに、白山信仰については奈良時代の養老元年(717)になると、越前(福井県)麻生津生まれの泰澄が信仰の象徴として白山を開山したと伝えられています。泰澄は14歳の時から越知山(朝日町)で毎日修行、34歳の時には白山登山を決意したといい、さらに36歳の養老元年(717)には、大野の修行先で夢の中に白山の女神と思われる天女があらわれ、これをきっかけに、白山修行登山への思いが強まったといわれています。

一方、白山に関係する白山市(石川県)と郡上市(岐阜県)、勝山市(福井県)の3県3市が共同で文化庁に対し、白山への登拝拠点「白山の3馬場」と、頂上御霊峰への登山道「白山の3禅定道(ぜんじょうどう)」の世界文化遺産暫定リストへの登録申請書を提出した件は、継続審査となったようですが、今後の健闘を期待したいものです。






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最終更新日  2007年02月05日 14時27分29秒
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