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2008年03月26日
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カテゴリ:新田義貞あれこれ

 先日、私どもが住む地域(福井市新田塚)の氏神さん、新田義貞公の菩提所・称念寺(坂井市丸岡町)へ参拝に行ってきました。福井市街地から車で北へ30分ぐらいのところにあります。

 そこの境内にはとても綺麗な早春の花が見頃を迎えていました。その花は梅、サザンカ、スイセン、沈丁花です。そこに着くまでは早春の花が咲いているとは思っていなかっただけに、その花がより美しく見えたようです。その様子は「境内に咲く早春の花、新田義貞公墓所・称念寺」(ふるさと福井動画で巡る)で紹介しています。

 浪人中の明智光秀公が称念寺を訪ねたのが1562(永禄5)年、そして門前に寺小屋を建てて生活をしていたという。江戸時代に入ると、松尾芭蕉が称念寺を訪れ、その頃の光秀夫婦を「月さびよ 明智の妻のはなしせむ」と詠んだと伝えられていますが、その頃も、称念寺またはその付近には、早春の花がいっぱい咲いていて、光秀夫妻が仲良く境内付近を散策する様子が目に浮かぶようです。

 足利・新田公の活躍の時代が描かれた軍記物語「太平記」によると、南朝方の新田義貞が1338年(暦応元年)7月2日、灯明寺畷(現福井市新田塚)の藤島の戦いで戦死した時、北朝方の斯波高経が義貞の遺骸をこの長崎称念寺に埋葬したと伝えられています。

  「境内に咲く早春の花、新田義貞公墓所・称念寺」(ふるさと福井動画で巡る)の後半に出てくるりっぱな唐門の奥に義貞のお墓があります。唐門の戸を明けて中に入ると、2.6m余の五輪石塔に圧倒されましたが、これは、福井藩主の松平宗矩が1837(天保8)年、義貞の500回忌にあたり、旧墓石を埋めてその上に建てたという。新田氏は徳川の祖先といわれていることから、福井藩主・松平家もこの菩提所をとても大切にしたようです。

 ところで称念寺の宗派、時宗(じしゅう)は、鎌倉末期に一遍上人が開いた浄土教の一宗派です。新田義貞と時宗の関係は、義貞の故郷の群馬県に時宗の有力な道場があったことから、その縁で、義貞も時宗の陣僧を連れていたと伝えられています。義貞が越前で合戦していた頃、称念寺は越前の中心的な時宗の道場であったようです。ちなみに、時宗の総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)です。






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最終更新日  2012年05月03日 12時43分02秒
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