テーマ:ひとりごと(15376)
カテゴリ:ダンス・舞台・ボディ
6/10 "道"について考えていた。 仕事の帰りに歩きながら、見えそうで見えない、わかりそうでわからないことが うすい膜の向こう側にあって、あと少しでわかりそうだったのに、届きそうだったのに、 探り当てることができずにいた。 でもすでにわかっているのかもしれない。 "道"は"道"であって、すでに途上にいるということ。 今関わっているすべてが1つに向かっているということ。 "道"は"なる"ことではないということ。 "なる"ことや"成功"というのは、道の通過点であって、 道を歩んでいること、大きなものに向かっていること、 自分の使命というものがあるならば、それに向かうことに比べたら、 "なる"ことや"成功する"ことは瑣末なことなのだ。 使命とまで言えるかわからないけれど、 恐らく自分が駆り立てられるようにいろんなことをやっていて、 そのどれもやめられずにいることは、 単に私の趣味で趣向でやっているのではない、と思っていいのかもしれない。 そんな不遜な考えが初めて浮かんだ。 そうでなければそんなに享楽的なわけでもない私が、 こんなに長くいろいろやっているのは何だか辻褄が合わないのだ。 使命とまでは考えられないが、何か自分なりに大事なものを生み出すために いろいろと労力とお金と時間を払ってやっているのだろうと思える。 やってることの1つ1つが成功していないから、満足していないから、 という理由でマイナスにとらえる必要はないのかもしれない。 中途半端でアマチュアで、かと言って芸術と呼べるほど 高尚だったり個性的だったりするわけではないことが ずっと悩みだったけれど、きっと全体で何か形となるのだろう。 全体で何かに向かっているのだろう。 だから落ち着いて、ダンスも絵も走墨も文章も写真も詩も哲学も仏教も、 学び、深め、関わり続けていけばいいのだろう。 私は私なりの真実を探り当て、それを力みのない、 しかし低く深く響く言葉にして絵本をつくりたいものだ。 他の人が書いたすぐれた哲学的な絵本があったっていい。 私には私にしか描けないものがあるはずだ。 それはいいものができる予感がある。 周りの人にしか理解されなくてもいい。 それを創ることが大事なのだ。 6/21 I先生のバレエレッスン、3回目。 疲れていたけれど、行ってよかった。 バーでパッセ&ルルベのとき背中の引き上げをほめられたのが嬉しかった。 センターでは、上体を回すとき骨盤がぶれて動いてしまうこと、 ランベルセやアンデダンターンで腰が抜けてしまうところなど注意された。 軸がしっかりしていないことが露呈してしまっている。 振りがなかなか覚えられない。 早く振りに慣れ、精度を上げるほうに気を使えるようになりたいものだ。 Eちゃんを見ていると、踊りが自然な言葉のようだ。 自然な呼吸、自然な動き、音楽との対話。 見ていてそれだけで心地よい。 夕方帰宅すると、だるくて疲れて1時間ほど寝てしまった。 一度起きたけれど、しばらくソファでぐでっとしていた。 汗を大量にかいたのでシャワーを浴び、少しすっきり。 ジムのバレエレッスンではここまで汗をかけない。 だくだくと汗をかけることが嬉しい。 6/23 密かに抱いているささやかな野望。 うまく行くだろうか? もうこれくらいになると別に失うものもないわけで、 思い切り好きなことをやるべきだと思える。 雨、雨、雨。 カフェの緑色のシェイドの縁を伝う雨粒。 なめらかに流れ、落ちる。あとからあとから。 通り沿いに植えられている柳の木も濡れそぼって いつもより、よりうなだれて見える。 ダンスをやる私。それが生活の大前提にあるだけで ずいぶん気持ちが軽く、しっくりくる。 やっとこのスタンスに戻れた。 シンプルに続けていきたい。 そしてもっとダンスをやりたい。 豊かさについて考える。 ものの豊かさ、金銭や不動産をもつ豊かさ、時間的・空間的豊かさ、 自己表現の豊かさ、コミュニケーションの豊かさ、etc. どれに価値をおくか、また実際感じられる豊かさはどれか。 どの豊かさを望むか。 6/25 サッカーワールドカップ、日本がデンマークに3-1で勝って 決勝トーナメントに進むことが決まり、今朝はどこも大盛り上がりだった。 すごい。 あんなにバッシングされてたのに。 逆境にあっての精神的な強さと、チーム力に感動と勇気をもらえた。 6/30 昨夜はサッカーワールドカップ、決勝トーナメント、 日本×パラグアイ戦だった。 久々にサッカーの試合を見たなあ。 日本はPK戦で敗れたものの、よくやった。よく頑張った。 昨夜は俳優座劇場に「スタア」を見に行った。 劇団のときの同期の子が主演だった。 終わってから楽屋に訪ねていき、少し話ができたのでよかった。 頑張ってるなあ。 彼女のひたむきさにはいつもすごいなあと思う。 あの細い体にあんなエネルギーがつまっているなんて。 疲れて、エネルギーが出なくて、 ダンスなんて無理、これ以上やりたいことやるなんて無理、 現状維持だけで精一杯、と打ちのめされる朝があり、夜がある。 何かを大きく変えないと、シフトしないと、立ち行かないのかもしれない。 7/2 今年の目標に掲げていた身体づくり、改善のこと、あまりやれていない。 今年も後半に入ったのだから、本気で取り組みたい。 具体的に指針を決めないと。 ダンスに復帰したのは喜ばしいことなので、このまま淡々と続けてカンを取り戻そう。 気になるのは、骨盤のゆがみ、足のむくみとセルライト(!!)、 上体の筋力低下、肩や首のこりと背中のかたさ、顔のこりとむくみ。 ・・・ほぼ全身ではないか。思わず苦笑。 大通りに面したオープンカフェでぼーっとする。 ひっきりなしの車の音。 騒音に埋もれて、騒音に自分を明け渡していると、 すべての音が自分の中からわいてくるような感覚を覚える。 夕方のくもりの白い空。空。くう。 仕事の集まりで、K坂さんに会った。 また100km一緒に歩こうよ、と言って下さった。 泣きたくなった。ありがたくて、嬉しくて。そして懐かしくて。 胸にあつく湧き返る思い。 先日から"道"について考え、今ここにいる、この場所、 関わっているすべてのことが自分にとっての道だ、と思い至り、 引き受けることを選んではいるけれど、 と同時に、今ここで根本から覆し、変えることが自分にできるだろうか、 という問いも自分にとって真摯なものとして迫る。 大きなものを変える、捨てることができるだろうか。 4/23 道。道を求めてきたけれど、今いるここが道だ、と今さらながら気づいた。 理想ばかり追い求めてきてへとへとになって、理想さえ見えなくなっていた。 しかし、今、ここ、この私でいいのだ。 自分を現状を認めずにきたのだ。 追い求めなくてもいいではないか。 もうすでに道を歩んでいる。歩み続けている。 たくさんのものを吸収している。 素晴らしいと思える人たちと交流している。 ひとりひとりといい関係をつくっている実感がある。 こんな幸せなことはない。充実していることはない。 これを認めさえすればいいのだ。 この先には何もないのだ。 そう、高村光太郎の言う通りだ。 僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。 ものすごい真実をついた言葉だ。 今度の走墨作品展の課題作品のテーマは奇しくも"道"なのだ。 すべてが何かのたくらみにからめとられているように縁付いていて、不思議な感じ。 7/3 心に兆しているもの。小さな望み。 昨日はN山さんから、今日はK子さんから、 それぞれダンスに関連する舞台鑑賞の、ご招待や割引での お誘いがあり、不思議な気がしている。 7/4 進んでいく、進んでいく。 座り込んでいないで無意識にも歩き続けていると、 やがて見たことない場所に辿り着けるだろう。 うつむきながらでもいい、歩いて歩き続けて、進み続けている。 バレエのレッスン、またバーでパッセルルベのときは引き上げがいいとほめられるが、 センターになると、まるで引き上げができず、注意される。 上体の筋力不足のせいだと思っていたけれど、 できているときもあるのだから、まずは意識と身体の使い方の問題なのだろう。 K子さんからのお誘いにのり、 せんがわ劇場にコンテンポラリーダンスの公演を見に行った。 しなやかさ、弾力性、生き生きとした身体。 声を発する場面もあり、以前サイトウさんのブログでのやりとりを思い出したりしていた。 (現在はコメントは何らかの理由で消去されているようです) 声(言葉)も"身体"の一部ということ、すると"視線"も身体の一部なのだろうか、 肉体から発せられる体温、汗、熱、もやはり身体の一部と言えるだろうか、などと 考えていた。 音楽をきいていると、踊りたくなる。 店内のBGMに合わせて足がリズムをとり、歩き方がもうダンスのステップになる。 他の人はなぜ踊りたくならないのだろう?とそのほうが不思議な気になる。 7/10 Jazzのクラスに出た。Jazzは本当に久しぶり。 身体がHIPHOPの動きのほうに最近は親しんでいるせいか、 何でもないステップで注意をされたりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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