史跡 観音山古墳(群馬県高崎市)
【見た日:2024年(令和6年)5月2日(木)】 ※ 公式HPより 高崎市南東部の綿貫という所に、観音山古墳という前方後円墳と呼ばれる形の長さ100メートルにも及ぶお墓があります。これは今から約1,400年以上前の6世紀後半に造られたものです。現在の高崎市を中心とした地域を支配した人のお墓です。 石室内部の天井の石は、十数キロ離れた藤岡市金井地区等で産出する牛伏砂岩の巨石(最大の石は重さ22トン)を6つ使っています。石を切り出した後どのようにこの巨石を運んだのか想像してみましょう。舟を使い、そりで引き上げたと思われますが、それにしても大変な作業だったと思います。壁石は榛名山の火山岩を使用しています。 石室は、入り口部分の狭い通路と奥の幅の広い遺体を置く場所である玄室があります。石室の全長は約12.6メートル、玄室の長さが約8.2メートル、幅3.8メートル、高さ2.3メートルで、県内の玄室では最大の大きさです。 この石室を発見した時、発掘調査を担当した人たちの興奮はすごいものでした。それというのも、古墳の石室は大抵既に掘られていて、中に納められていたはずの物は盗まれている場合がほとんどです。ところが、幸運にもこの古墳の石室は、崩れていたため墓盗人が掘り出すことができず、当時お墓の主のために納められていた品々がそっくりそのまま出土しました。このようなことは、全国的にも極めて稀なことです。 ※ 史跡 観音山古墳 〈史跡 観音山古墳(群馬県高崎市綿貫町1752)