【見た日:2022年(令和4年)7月13日(水)】
※ 公式HPより
明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊され、中ノ門堀跡は旧城内に残る唯一の堀跡となりました。
川越城は古賀公方足利成氏と北武蔵の覇権を巡る攻防に備える為に、1457(長禄元)年に、太田道真・道灌父子によって築城されました。
江戸時代になると、江戸の北の守りとして、川越城は重視されました。
1639(寛永16)年、藩主となった松平信綱は、城の大規模改修を行い、近世城郭としての体裁を整えました。
整備された現在の中ノ門堀跡は、堀跡本体と見学広場の2つになります。
本体は、遺構保護の為に盛土して、構築当初の勾配を復元しました。
また、見学広場には、説明板とベンチを設け、入口には城を連想させる和風の冠木門を設置しております。
明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊された中で、中ノ門堀跡は旧城内に残る数少ない遺構です。
中ノ門堀は、西大手門(現在の川越市役所付近)から本丸(現在の初雁公園周辺)に向かう道筋を妨げるように設けられた堀の一つです。
右に左に屈曲する道を進むと、この中ノ門堀に突き当たります。堀は深さ7m、幅18mですが、西大手門側の勾配は30°、本丸側は60°と傾斜角度が異なるため、西大手門から入った侵入者には、堀が壁のように切り立って見えたことでしょう。