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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:歴史同好会(城・館・砦)
【訪問日:2023年(令和5年)6月26日(月)】
※ 公式HPより 宇都宮城の歴史 宇都宮城のはじまり(平安時代後期) 宇都宮城を築いたのは、藤原秀郷とも藤原宗円とも言われており、時代は平安時代後期と考えられています。 鎌倉時代から戦国時代 中世(鎌倉時代から戦国時代)の城主であった宇都宮氏は、鎌倉幕府の有力な御家人であるとともに、京都ともつながりが深く、5代頼綱(よりつな)(蓮生・れんしょう)は百人一首の成立にも深くかかわっていました。 日本中が戦乱に巻き込まれた南北朝時代から戦国時代、このころの宇都宮城は敵の攻撃に備えるため、堀と土塁を幾重にもめぐらせた守りの堅い城になっていきました。 宇都宮城をめぐっての戦いも行なわれ、城下町が焼かれたこともありました。 江戸時代 約500年間宇都宮を支配してきた宇都宮氏は、豊臣秀吉に滅ぼされ、近世(江戸時代)には譜代大名の居城となりました。その中でも本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、今日の宇都宮の中心市街地の骨格を作り上げたと言われています。 将軍が日光にお参りする日光社参(にっこうしゃさん)。宇都宮城は将軍の宿泊場所となり、本丸には将軍のための御成御殿(おなりごてん)が建てられました。日光社参は幕府の威信をかけた大事業であり、城も城下町も大変なにぎわいだったと言われています。 戊辰戦争以降 宇都宮城は1868年の戊辰(ぼしん)戦争で建物の大半が焼失しました。堀も次第に埋められて、当時の面影をしのぶものはほとんどなくなりました。 ※ 宇都宮城 【訪問日:2023年(令和5年)6月25日(日)】 ※ 市役所から望む お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月02日 18時51分15秒
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