【見た日:2023年(令和5年)8月22日(火)】
※ 公式HPより
鎌倉時代、志筑郷の地頭であった下河辺氏(後の益戸氏)によって築城されたと伝えられています。六代国行の南北朝争乱では南朝方に与し、北朝方である府中城の大掾高幹と戦いました。しかし、興国2年(1341)6月に北朝の高師直の軍に攻撃を受けて落城したと伝わります。
鎌倉時代の志筑城があった場所については、江戸時代より、上志筑の権現山と、中志筑の旧志筑小学校跡の場所に考えが分かれていましたが、昭和10年に旧志筑小学校跡の場所が県指定史跡になりました。この旧志筑小学校跡は、正保2年(1645)に旗本である本堂家の陣屋が置かれたところです。
※ 志築城跡
志築城跡(茨城県かすみがうら市中志筑1037)