【通りかかった日:2024年(令和6年)3月2日(土)】
※ 公式HPより
7世紀後半から12世紀後半、大宰府は行政機関として九州を統括し、西の都としての役割を果たしました。地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されたのです。
長い時を経て政庁の建物は失われていますが、古い建築基礎は今も遺されており、現在は史跡公園として親しまれています。公園の入り口からほど近い「大宰府展示館」では、考古資料の展示をはじめ、西の都・大宰府の歴史と文化を紹介しています。
※ 大宰府政庁跡
〈大宰府政庁跡(福岡県太宰府市観世音寺4-6-1)〉