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カテゴリ:塾
明日で春期講習は終わり。
短い間の勝負でしたが、一学期のスタートを切るためのアドバンテージを持たせてやることができたのではないかと思います。 といっても、それは公立中学に通う高校受験をめざす生徒の話で、中学受験をめざす小学生はもっと切実、真剣です。 とくに小学六年生については、今からやることがぜんぶ受験に直結しているくらいの意識で、きりきりと向かっていかなくてはならない。でもまだ勉強することに慣れていない、勉強との向き合い方が分からない生徒も多いので、深刻にならずに、真剣に取り組んでいくようにしたいと思います。 ぼくは、教えるに際しては、「学ぶことの楽しみ」を知って欲しいと思います。 世の中に楽しいことはいろいろあって、おいしいものを食べたり、本を読んだり、旅をしたり、ゲームをしたり、人と話をしたり、すべて楽しい。 人間はうまくできているもので、生きるのに必要なことは、楽しみと結びつくようにできているそうです。 たとえば、食欲。もし食べるのが苦痛だったら、生きてるのがつらくなるじゃないですか。食べるということは人間が生きるのに必要不可欠なもので、だから楽しく設計されている。ほかにも睡眠とか排泄とか、ぜんぶ気持ちいいように設計されていると、本で読みました。 「知る」ということも、それに準ずる行為だと思います。 生きていくには、さまざまな知識を身につけることが必要です。 「いま勉強しておけば、あとから役立つんだから!」なんてことを言う人もいますが、ぼくはそうではなくて、「知る」ことは、それ自体が楽しいものだと思っています。 自分が今まで知らなかったことを知る、それまでできなかったことができるようになる、どうしても解けなかった問題が解けるようになる、それらはすべて、「受験に役立つから」でも「大人になってから必要だから」でもなく、そのこと自体が素晴らしい経験で、そのこと自体がうれしさにあふれた達成なのです。 知識欲、というものは生物としてのヒトにはない本能ですが、ヒトが人間になるにつれて獲得した新しい本能なのではないでしょうか。 教えるということについて、さらに。 ぼくがはじめて勉強を教えたのは京都での学生時代でのことでした。 高校三年生の男子で、偏差値でいえば40そこそこの、まぁ成績の悪い生徒でした。 家庭教師紹介の会社に申し込んで、その二日後には「すぐにでも入ってもらいたいんですが」との連絡がきて、そのまま何の講習もなく授業に入りました。 まだ大学受験の受験勉強の貯金が充分に残っている頃で、しかも英語と国語という、ぼくが得意とする科目だったので問題を見ても内容がわからないという心配はなかったのですが、それでも何の準備もなしに向かうというのは不安で、とりあえず英語やろうかなぁ、とぼくの英語の師匠の安河内哲也氏の書いた参考書を丸善で買って、「このページやろうかな」と拡大コピーしてその家庭に向かいました。 生徒の男の子と会って、あいさつしていざ開始。 学校の宿題を見て欲しいというので、英語の教科書を開いて、英文を読んでいくことにしたのですが、まず単語を知らない。 本文を読もうにも、たとえば一行目の「teach」という単語の意味がわからない。 teach=教える、なんてのは中学の一年で習うような単語で、それが分からない高校三年生ってのは、これは大変だぞ、とぼくは気合を入れ直しました。 「いいか、ヒント出すぞ。teachが分からなくても、この単語なら知っているか?」 と、ノートに「teacher」という単語を書きました。 「知ってる、先生って意味です」 「teachは、teacherと関係があるんだよ、teachする人がteacher=先生なんだ。だったら、teachってのはどういう意味だと思う? 想像してみてくれ」 そして、彼は三分ほど考えて、 「teacher …… 先生」 「そうだ、じゃあ、teachは?」 「teach …… 先!」 セン! と彼は元気よく答えてくれました。 勢いとしては、スーパーひとしくん出しそうなくらいの勢いで。 その後、英語は単語の意味を書かせて、本文を音読して、という繰り返しを淡々とするようになったのですが、国語もやばかった。 国語の問題文を読んでも、意味がわからない。 評論文を読む訓練なんてまったくされていないわけで、「物事の真理を実際の経験の結果により判断し、効果のあるものは真理であるとする」とか言われても、何を言っているのかまったく理解できない。 国語については方針をがらっと変えて、邪道なことしかやらないことにしました。 まず、本文を読まない。 本文を先に読まないで問題を先に読む、とか甘っちょろいことじゃなく、一切読まない。 選択肢を部分分けして見比べて、共通を探す訓練。 言い過ぎているもの、行間を読んでいるもの、論外のもの、抽象的な正論を言っているもの、など誤答のパターンを教えて、それを除外する訓練。 小説の選択肢も、メルヘン入ってるものや電波入ってるものは違う、とかそんなことばかり教えた。 あとは、この日記にも以前書いたような、「物語の型を知る」ということ。 少年なら青年へ、田舎から都会へ、ひとりからふたりへ、過去から未来へ、何かが成長する過程を書くのが物語だという話をして、その方向に沿った形でしか、国語の解答はありえないのだと話した。 途中から、向こうがポカーンという顔をしているのはわかっていたが、構うものかとしゃべり続けた。 ぼくは高校の頃からバカみたいに本を読んでいたので、物語を読むことと国語の問題を解くことは別物で、国語の問題を解くのには、読解力よりもパターン認識力を鍛えればいいということはわかっていたので、それだけ教えることにした。 「いいか、国語の問題を解くコツは優等生ぶることだよ。よく学校で作文書けというと、先生に気に入られるような作文書いてくるやついるだろ。『日曜日に公園のゴミを拾いました』とか、そんなウソつけってやつ。ああいうカッコつけて優等生ぶったやつの言いそうなことが正解なんだよ」 そんなことを、ただひたすらしゃべった。 彼は、黙って話を聞いていた。 途中、笑わそうとしたり驚かそうとしたりしたが、笑いも驚きもせず、ただ話を聞いていた。 いきなりわけわかんない話しないで、もっとオーソドックスに始めればよかったなと思いつつも、初めてしまったものはどうしようもなく、ぼくはそこにあった国語の問題を分解し、再構成することに終始した。 二時間が過ぎ帰り際に、「いきなしわけわからんくてごめんな。まぁぼちぼちやってくし、ジブンもぼちぼちやっといたらいいで」と言うと、 「はぁ」と気のない返事をしてみせたのち、彼は言った。 「でもおもしろかったですよ。よくわからんことばっかしやったけど、学校の先生が言うてることとちがって、そんなんのもあんねやなぁって思たし。自分の知らんことたくさん聞いて、おもしろかったですよ」 そうかそんならよかったら、こたえながらぼくは、申し訳ないような気持ちになりながらその家を辞した。 たぶん、偏差値40というのは知らないことがいっぱいあって、しかも多くの未知に接する機会も与えられることなく過ごしてきた結果なんだと思います。 それは、伝える努力をしてこなかったり、知識や興味を広げる機会を与えなかった周囲にも責任はある。 ぼくが彼に伝えた邪道の国語は、実生活では役に立たない技術ですが、そんなものでも知識欲を刺激する何物かにはなり得たらしい。 彼は、その後国語だけは偏差値55くらいいくようになった。 しかし、文章に何が書いてあるのかは、ついにわからないままだったけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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