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カテゴリ:トルコ
バイラムの1日目の夜、序章だけ読んでそのままになっていた“トルコ狂乱”を手に取った。この本は第一章をある程度読みすすめると、もはや止まらなくなってしまう類の本であることが判明。
バイラム二日目。予定が何もなかった。さらに夫くんはこのバイラム家にいるけどずっと仕事をしている。というわけで、今日は読書の日!と勝手に決めて、お茶を入れて煎餅をまわりに配置し“トルコ狂乱”を読み進めた。 結局この日、朝10時から、夜の12時半に就寝するまで、昼食と夕食を除いてずーっと読書。おそらく10時間は軽く読んでいたと思う。さすがに最後のほうは目がしょぼしょぼ・・。 そしてバイラム3日目の午後3時。すべて読み終わった。 この本は読み終わって、天晴れアタトゥルク、天晴れトルコ国民、と爽快になれる本であろう。間違いなく“トルコ人”というものを見直す。そしてどの小高い丘の上にもひっそりと静かにたっている国旗やアタトゥルクの像をまた違った思いで見ることは確実だろう。 自分の国の土地に、自分の国旗のもと自由を保障されて生活することの意味を今一度考えさせられもした。 アタトゥルクという人がいなければ、現在のトルコはほぼ100%なかっただろう。そして私もいまここにはいないだろう。 今までアタトゥルクの偉大さというものは、断片的に聞きかじった情報とトルコ人がこれだけ慕っている人なのだから偉大なのだろう、という推測とに基づいてなんとなく納得していたわけだけど、この本を読んでようやく、彼は本当に何世紀かに1度現れるか現れないかの“偉大な大物”だったことを実感した。 国のリーダーとはいかにあるべきか、コミュニケーション術とはいかなるものか、そして野党や批判にどのように賢く対応していくか。学べることは山ほどある。 彼は女性の権利、虐げられていた農民の権利など、オスマン帝国が無視した弱者の権利の重要性を最初から理解し、その信念に基づき行動・発言した。そして戦争中の彼らの働きを、手放しに褒め称えた。どんなに混乱した情勢の中でも、何が本当に大事なものなのかをひと時も見失わなかった。 アタトゥルクの偉大さとは対照的に、“愚の象徴”ともいえる人たちも登場する。その筆頭はオスマン帝国最後のスルタン、ヴァヒディッティン皇帝であろう。自分の地位と命を守るために、売国行為をことあるごとに画策。そしてオスマン帝国崩落まで秒読み状態だったときに、各省をあげて、“女性はどんな格好をするべきか”ということを本気で話し合わせていたのだ。 (あれっ、どこかで似たようなことが起こってませんでしたっけ・・・?) アタトゥルクをはじめ、当時の肝の据わったパシャたち、国のために戦った兵士たち、厳しい条件の補給を支えた女性たち、本当にすばらしい国・国民だと心から思える。 そして、現在のトルコに目を向けると、あのビジョンと国のためにという志をもった政治家・国民はどこに姿をくらませてしまっているのだろう、と思わずにはいられないのだ。 私腹を肥やすことに余念がない国のリーダーたちや政治家。見せかけだけの豊かさを演出する、借金だらけの国・自治体、そして国民。石油発掘権や水の供給事業までも外国に切り売りするこの国。 鉄道事業も外国人にまかせっきりでトルコ人の教育を一切しなかった、滅びてしまったオスマントルコとなんだか似てはいまいか。 アタトゥルクが女性差別や分離を猛烈に非難したのに対し、現在のトルコはまたアタトゥルク以前の頭の構造へと人々を導いていっているのではないか。 (引用開始:202頁、アタトゥルクの発言) “明日の集会には女性教師も参加することになっている。ところが、これを聞いた一部の議員はそのことに反対しているのだ。なんとも哀れむべき頭の構造じゃないか!こういう輩のせいで、今日苦境にたたされることになったというのに。時代錯誤の、世界情勢に背を向けた、トルコ流かつ野蛮草昧な価値観のせいで。いいか、我々に別の道など残されていないのだ。社会を刷新し、進歩させ、近代文明に歩調を合わせ、西欧と肩を並べるためには退嬰的な考え方をあらためさせなければならぬ。凝固し、停滞し、麻痺した価値観を変えるのだ・・・”(引用終了) 現在のトルコが流されていっている方向を彼が見たら、いったい何というだろうか。 現在のトルコにおいて、私腹を肥やし、権力を振りかざし、罵詈雑言を投げつけ、票を買うようなリーダーたちを、人々がなぜここまで支持するのかを正直理解しかねている。(頼れる野党がない、というせいもあるだろうが。)(同様に、アメリカ大統領選でマケインの支持率がオバマを超えたというのを見ても、なぜ、なぜなんだ!と思ってしまう) この国がどこに行こうとしているのか。ヴィジョンは何なのか。(私の情報収集能力が低いこともあるだろうが)正直、見えないのである。 (引用開始:183頁)“トルコ人ってのはおかしな民族なのだよ。恙なく暮らしておる時は先のことなど考えない。お互いの足を引っ張り合ってばかりじゃ。状況が悪くなって初めてわしらはやっとこさ目を覚ますのだ。ひどくなればなるほど、一致団結し普段はできないようなことをやってのけてしまう。・・・”(引用終了) きっとあの勇敢でしゃんとしたトルコ人たちは、いざ、というときは、しっかり目を覚ますさ、 と願わずにはいられない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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