テーマ:マラソンに挑戦(5677)
カテゴリ:ウルトラマラソン(未)完走記
≪ 走友達のエール ≫
胃がムカムカして来たのは、久しぶりのウルトラレースに体が慣れてなかったためだろう。「今年のランナーの通過は早い」。9.6k地点のASスタッフがそう言っていたことを思い出す。道端に立っていたスタッフに100kmの部との合流点まで後何kmか尋ねたが、答えは何度聞いても「20km」。そんな訳はなく、間もなくのはずだ。私の予想通り、暫くすると森の中から走って来るランナーの姿が見えた。100kmの部のランナーだ。 合流点を過ぎた橋の上 スタッフの指示に従って道を曲がる。間もなく和賀川に架かる赤い橋を渡る。良く見ると背中にゼッケンナンバーのないランナーが多い。尋ねると100kmの部では、途中で3回雨に降られた由。きっとその時に濡れて千切れたのだ。いつの間にか観察車は消えていた。続々と100kmの部のランナーが来るため、無意味になったのだと思う。 15km地点 15km地点を2時間15分14秒で通過。良くこの体調でここまで来れたものだ。その時後から私の名前を呼ぶ声がした。振り返ると宮城UMC仲間のT田さんだった。「戦場カメラマン」の彼はレースで走りながら200枚もの写真を撮る。その写真をいつもメールで送ってくれる奇特な人だ。この時もお互いに写真を撮り合った。そして彼はこの後の関門でも密かに私の写真を撮ってくれていたようだ。 T田氏の勇姿 よほど慌てていたのか、16.5km地点の第1関門(100kmの部では2つ目)では、写真も撮らずタイムも残してなかった。ベテランランナーに次の関門の制限時間を尋ねると、十分間に合いそう。そこで酢飯を味噌汁に入れてかき込んだ。結局後にも先にもご飯があったのはここだけ。腹に溜まりエネルギー源になるご飯は、ウルトラレースには欠かせない貴重な食べ物だ。 ここに同じ走友会のT脇さんがいた。彼女とは数年前の「えちごくびき野100km」でデッドヒートを演じたことがあった。あの時彼女はまだ40代。道理で速かった訳だ。エールを交わして走り出す。直ぐにT田さんを抜く。友達を待っていたようで、直ぐに抜き返された。T脇さんも直ぐに私を抜いて行った。 暫くして見慣れたユニフォームが追い抜いて行った。追い着いて声をかけると、その人はサングラスを外して私を見た。やはりKさんだ。黙って私の手を握るKさん。疲労困憊ですっかり冷え切った私の手。「今日は引退レースなんだよ」。そう言うと、まるで青い鳥が羽ばたくように彼女の姿は見えなくなった。あのスピードならきっと12時間台前半で2度目の完走を果たしたはず。 20km地点 20km地点の通過は3時間09分31秒。いつもなら暑さに苦しむこの登り坂が、曇って気温が低い今日は楽に感じる。きっと体もレースに慣れて来たのだろう。100kmの部の仮装ランナーが次々に私を抜いて行った。「忍者赤影」は背中に大刀を背負い、菅笠を被った修行僧は裸足。「足は大丈夫なの?」の声にピースサインの余裕ぶり。そして「埼玉のはるな愛」は長身の女装ランナーで、顔は男そのものだった。 間もなく県道1号線を左折して銀河高原への折り返しに入る。前方にT脇さんを発見。急いで走り、エールの交換。そこからコースが左折し、彼女の姿はたちまち見えなくなった。次にやって来たT田さんが「Aさん、時間は十分にあるからゴール出来るよ」と一言。この男は私の体調を知らないのだろうかと思ったが、彼の言葉がなぜか私の頭にこびり着いていた。 銀河高原ホテル 間もなく銀河高原。まだ元気が良かった頃は、ここで美味しい地ビールを飲んだものだ。今年の折り返し点はホテルの構内ではなく、少し先の道路。そこをUターンして2つ目の関門に到着。ここは100kmの部に出た昨年リタイヤした場所。73.3kmが昨年私が走った最長記録だった。 2つ目の関門の前で ここでも次の関門の制限時間を聞いた。走れば何とか間に合いそう。慌てて牛乳寒天をかき込んでスタート。3つ目の関門は少し遠く、その途中に猛烈な下り坂がある。その衝撃に私の脚腰が果たして耐えられるかどうか。走友の姿を探しながら折り返しを下る。だが、知ってる顔は誰一人見つからなかった。 銀河高原の折り返し 間もなく左折して山の中の道に入る。ここを走るのは4年ぶり。4年前のレースが私が100kmを完走した最後だった。今年は50kmだが、とてもゴール出来るような体調ではない。だが私の頭の中には、先刻T田さんが励ましてくれた言葉が蘇っていた。そうだ1つでも先の関門を突破しよう。それが俺の引退への花道だ。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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