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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.12.11
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カテゴリ:日本史全般
~籠(この)神社の謎 その1~

        

 天橋立を見るため丘の上に登るケーブルカーとリフトの駅である。これが旅の初日の最後で、既に夕刻が迫っていた。この駅の名を見て私は思わず声を上げた。そして地元の小父さん(ガイドの方)に尋ねた。「府中と言うことは近くに国府があるんですか。籠神社は丹後国の一之宮なんですか」と。答えはまさにドンピシャ。私の直感の通りだった。これはさっさと天橋立を見、それから神社に行かなくちゃ。

  

 天橋立を見、速攻で山を下りた。また小父さんに尋ねた。神社の場所とそこまでの時間。「元伊勢ですか」。「そう、一番最初は奈良県で」。もうそれだけで十分だった。教えられた通りに行った積りが、方向を間違えた。走って道を渡り神社の前へ進むと、門が開いていた。だが境内の撮影は禁止とある。ありゃまあ。何とか撮りたいが、最悪ネットで画像を探せば良い。そう高を括って本殿の前に立った。

                 

 思案してる前に、神職と巫女さんが姿を現した。どうも様子がおかしいので何時までですかと聞く。答えは5時まで。その時間が過ぎていたのに門が開いていたのは、小父さんが電話してくれたのだろうか。巫女さんに倣って二拍二礼で参拝し、急いで門を出る。神職は社務所に戻ったが、巫女さんは門から出て、待っていた男の人と何かを話していた。そのための開門かも知れないが、お陰で境内に入ることが出来た。

   

 「元伊勢」の言葉を知ったのは、6年ほど前に奈良の「山の辺の道」を歩いた時。「御旅所」の言葉も奇異に感じたが、これは御神輿が休む場所も指すので普通名詞だろう。だが「元伊勢」だけはなぜか気になっていた。伊勢神宮の元になった神社と言う意味なのだろうが、果たしてそんなことがあるのだろうか。そしてその理由は一体何なのだろう。そんな疑問を抱いて奈良から帰ったことがあったのだ。

   

 謎解きのヒントが、yorosiku!さんのブログ。以前彼女がこの地を訪れた際の記録に、籠神社の写真もあった。不思議な名前に惹かれてネットで調べて仰天。何とこの神社が元伊勢の一つだったのだ。長年の疑問だったこの神社が、今回のツアーで見られるのではと私は密かに期待していた。古称の吉佐(よさ)宮は与謝(よさ)半島から来たのか。では祭神は。そしてなぜ元伊勢なのか。

      

 あっと言う間の出来事で、振り返ると既に門は閉まっていた。まさに奇跡的な籠神社との遭遇。他のツアー客の誰一人ここへは来なかった。恐らくは歴史の謎を解きたいと言う長年の願いが、こんな体験を私に与えてくれたのだと思う。バスの発車時間まで少しだけ間があったため、先ほど間違った海の方向へ歩いて行った。静かな波が打ち寄せる宮津湾が目の前にあった。その海を見たことも、謎解きに役立った。

  

 海の傍にある神社も皆無ではない。私が知ってるのは塩竃神社(宮城)、気多大社(石川)、気比大社(福井)、住吉大社(大阪)など。出雲大社(島根)、宗像大社(福岡)もそうだ。今では海から離れているように見えるが、かつてはいずれの神社も海の直ぐ傍だった。きっとそこに深い意味があるのだろう。そしてそれは日本と言う国の成立に深く関わっているはずだ。<続く>





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Last updated  2019.12.11 08:00:45
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