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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.08.16
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カテゴリ:スポーツ関係
~いくつかの視点・その2~

<女性アスリートの活躍>

    女子マラソン表彰式

 皆さんはどう思われただろうか。今大会での女性の活躍が目についたことを。一つのデータを示そう。
1964年(昭和39年)の東京大会での女性アスリートの比率は全体の13.2%だったそうだ。それから57年経った今大会での女性アスリートの比率は48.8%。前回東京の3.7倍。何と全体の半分近くまで増えている。それほどジェンダー(性差)の解消が進んだことになる。

<参加者の低年齢化>

   スケボーの開心那選手  

 スケートボード「パーク」の開心那選手(日本)は12歳。恐らくこの12歳が最少年齢だろう。外国の女子卓球選手も12歳だった。1992年のバルセロナ大会で日本の岩崎恭子選手が金メダルを獲った。その時インタビューで「今までの人生で一番嬉しかった」と言ったのが記憶に新しい。あの時の彼女の年齢は13歳だった。さて、今大会で男子の12歳はいたのだろうか。

<日本選手の名前>

  

 若いから「キラキラネーム」の多いこと。今大会のブログを書いていて、選手名の文字変換に苦労した所以だ。日本選手の大部分は平成生まれで、昭和生まれの選手は少なくなったのではないか。また、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手の新種目が珍しくて目に焼き付いた。

  柔道のウルフ・アロン選手   

 カタカナ名の日本選手が増えたのも今大会の特徴のように思う。柔道のウルフ・アロン選手や陸上のサニー・ブラウン選手、女子バスケットのオコエ桃仁花(もにか)選手。他にもいたと思う。これは国際結婚が増えた証拠。でも大抵日本人は母親のケース。そのうち父親が日本人で母親が外国人のアスリートや、両親とも外国人で日本に帰化するケースも増えると思う。変化はLGBTだけではない。

 <ママさん選手の活躍>

    アメリカのママさんアスリート

 アメリカのママさんアスリートの写真が新聞に載っていた。何でも出産後に東京大会出場を目指して再びトレーニングを開始し、めでたくメダルを獲ったとか。かつての柔道の谷亮子さんも「谷でも金」、「ママでも金」と張り切っていたのを思い出す。今大会女子陸上100mハードルの予選に出た選手も確かママさん選手だった。日本でも今後は普通になるかも知れない。

 <お疲れ様でした>

    三宅宏美選手と父義行氏

 女子ウエイトリフティングの三宅宏美が引退を発表した。まだ35歳と若い彼女だが、父義行氏は前の東京大会重量挙げの銅メダリスト、伯父義信氏は金メダリストだった。その期待から彼女も14歳ころから競技を始め、今回が5回目のオリンピックだった。20年以上の競技生活で、きっと腰や膝や肩などに痛みが出ていたはず。今大会は記録なしに終わった彼女だが、「やりつくしたので悔いはない」と話していたのがとても印象的だった。「長い間重たい物を持ち上げて、お疲れ様でしたね」。

      体操の内村航平選手   

 内村浩平選手もまだ32歳の若さだが、今大会後の現役引退を表明した。本人曰く「体力の限界」の由。北京、ロンドン、リオ、東京大会に出場。個人総合2連覇を達成し、団体や種目別を含め、金3,銀4を獲得。世界体操選手権個人総合6連覇など金10,銀4,銅4獲得。リオ大会後は肩の怪我で苦しんでいた。彼が引っ張ってくれた間に若手も育って来た。長い間、体操日本のためにありがとうね。

<病気やケガからのカムバック>

    池江瑠花子選手

 水泳の池江璃花子選手。この人の名前と涙ぐましい闘病生活を知らない人はいないだろう。2年前に白血病を発症し、抗がん剤治療などで長い入院生活を送った。髪の毛は抜け落ち、体重は15kgも減少しして、「死にたいと思った時もあった」と言う。そこからオリンピック出場までの苦労は並大抵ではなかったはずだ、でも彼女は再び競泳プールへと戻って来た。

 今大会メダルを手にすることは出来なかったが、リレーに出場して活躍した。かつては世界一の実力者。彼女の再起のために、世界の仲間がカムバックを祈ってくれた。「大会は中止すべき」。そんな声が強かったが、もしも中止したら彼女だけでなく世界のアスリートが東京に来れなかったのだ。1年間大会が延期されたお陰で、彼女は地元開催のオリンピックの場に立てたのだ。

   福廣ペア   

 女子バトミントンダブルスの福島(右)廣末(左)ペア。2人は熊本県出身の幼馴染で、子供の時からのバトミントン仲間。福島選手が1学年上だが、社会人チームで一緒になったことからペアを組んだ由。ダブルスの実力をつけ、見事世界ランキング1位にまで上り詰めた。ところが今年の6月に廣末選手が右膝の「前十字じん帯」を損傷。お先真っ暗になったものの一念発起して治療に専念し、出場を果たす。

 右膝に「ギブス様の黒いサポーター」を着けた末広選手が入場した際、会場がどよめいた。それほど異様な出で立ちだった。ペアは頑張ったが、世界一の実力は発揮出来なかった。当然のことだ。それでも準々決勝までは行ったが、相手に弱みを衝かれメダルは獲れなかった。それでも凄い執念。事故から2か月未満でオリンピックに出たとは。無理した痛みが出ないことと、2人の前途を祈る。本当にお疲れ様。

  

 イギリスのトム・ディーンさんは水泳の選手。彼は2度新型コロナ感染症にり患したが、完治して東京オリンピックに参加し、2つの金メダルを獲った。何と言う執念だろう。その強い意志が、きっと奇跡をもたらしたのだろう。

              

 ところが世界ランク1位のバトミントン選手が勝てなかった。金メダルが期待されたトランポリンの選手が、大会の1か月前から高く飛べなくなった。どちらも日本の選手だ。一人は慢心から、もう一人は過度の期待と緊張から、本番でその実力を発揮出来なかったのだ。自分自身を律し、あるいは極度の緊張から自らを解き放つ心の余裕。栄光と同時に魔物も棲むオリンピックは、何と厳しいのだろう。<続く>





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Last updated  2021.08.16 00:00:09
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