カテゴリ:スポーツ関係
~開会式セレモニー・厳かな中にも~
オリンピックとは一味違ったパラリンピックの開会式だった。あんなに金をかけた派手なものでなく、障害を持ったアスリートの祭典パラリンピックに相応しい静謐と尊厳を秘めていたように思う。 国旗が静かに入場して来た。国旗を持つのはパラアスリート、ドクターや看護師さん、ボランティアの方々。無観客での開会式だが、それだけ荘厳さを感じる。 国歌「君が代」を斉唱する女性歌手は、全盲の方。良く透き通る声だった♬ ショータイムに出られたミュージシャンも、何らかの障害を持たれた方が大勢おられた。例えばピアニストは左右どちらかの手の指1本だけで鍵盤を叩いていた。この日のために特別に編成したチームとのことだが、彼らがこれまでの人生の中でどれだけ厳しい日々を過ごして来たのだろうか。 大スクリーンにパラスポーツの映像が写された。これはテコンドーだろうか。ちょっと見ただけでは、どんな障害があるのかは不明だったが。 日本チームの旗手(今回から男女が一緒に持って入場することになった)、館内放送で案内があったが、右側の女性が谷真海さんだと直ぐに分かった。「お帰りモネ」百音と同じ宮城県気仙沼市の出身の彼女は、大学在学中に骨肉腫を発症して片側の足の膝から下を切断した。それから競技用の義足をつけて、陸上競技に挑んだ。あの頃は走り幅跳びの選手で、若くてきれいな女性との印象だった。 当時の姓は佐藤さん。その後結婚されて谷姓になった。現在39歳で一児の母。そして今はトライアスロンに挑戦している。障がい者だって恋もすれば結婚もする。そして母になってもアスリートであり続ける。何ら健常者と変わらない。常に何かに挑戦し続ける姿は、輝くばかりだ。 色鮮やかな光が投影された。それが形も色も様々に変化して行く。そこへ車いすに乗った一人の少女が、青いコスチュームの人に押されてやって来た。どうもショータイムが始まるみたいだ。でもそれは明日のお楽しみに。 スクリーンにヘジャブを被った婦人の姿が映った。彼女は手を合わせて神に祈る。国の治安を、暮らしの安定を、家族の安寧を、ひたすらに世の平和を。平和のないところに治安はない。暮らしの安定も家族の安寧も平和があればこそ。オリンピック開催期間中は戦いを中止する。それが太古からの約束事だった。今、世界は平和だろうか。障がい者や国を追われた難民が心からスポーツを楽しめているだろうか。 2つの旗が掲揚された。一つはわが日本の国旗である日の丸。そしてもう一つはパラリンピック旗で「スリーアギトス」と呼ばれる。ラテン語で「私は動く」の意味。困難なことがあっても挑戦し続けるパラリタリアンを表現した。パラリンピックの崇高な理念の象徴だ。五輪の輪が壊れたわけではない。 第二次世界大戦が終わって間もなく、ロンドン郊外にあるストーク・マンデヴィル病院の医師ルードウィッヒ・グッドマン博士は、杖を使ってホッケーに夢中になっている入院中の障碍者たちを見た。そこで博士は考えた。「障碍者たちに必要なのは保護ではなく、ひょっとしてスポーツなのではないか」と。 その後病院の庭でひっそりと競技会が開かれるようになった。最初に集まったのは16人。回を重ねるごとに参加者が増え、1953年に開かれた競技会の陸上競技、やり投げの様子が上の写真。これが障がい者を保護すべき人から、「自分で人生を切り開く人」に変換させ、その後「パラリンピック」と呼ばれる国際的な活動の黎明期の姿だ。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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