テーマ:ブログは文学たりえるのか(74)
カテゴリ:文学
~小学生から中学生へ~
「われと来て遊べや親のないすずめ」。「古池や蛙飛びこむ水の音」。一茶や芭蕉の名句を知ったのも多分小学生時代だったと思う。仙台から松山に転校したおかげで、私は水泳を覚えた。場所は瀬戸内海の海水浴場の外れ、5mほど先の岩まで手足を動かしたら行けた。唯一私が泳げるのが平泳ぎ。翌年6年生では伝馬船から海に飛び込み必死にもがいた。その成果が40年後のトライアスロンにつながる。 中学校の敷地は松山城の二の丸跡。石垣には良く登った。校門前の坂を上ると「立志の塔」があった。昔なら14歳で元服だ。中学は他の小学校からの生徒と合流し、番長同士の対決もあった。1年の担任は美術の先生。2年は国語で3年は数学。1年では学級委員を命じられ、峠越えで40kmを歩いたこともあった。2年の担任には可愛がられた。拙い詩も短歌も褒めてくれたT先生。 法隆寺 修学旅行で行った関西の寺院。そこで初めて詠んだ短歌のうち覚えているのが下の3首。 斑鳩の里に聳えし塔みれば花のごとくの古(いにしえ)思ほゆ 緑なる春日の宮の朝の風吊り灯篭を揺すりをるかな 老人の鐘撞き堂に一人ゐて石山寺は線香のかほり 先生は「新古今調だね」と言うが、古語は何となく覚えたもの。ダム建設の現場を訪れて書いた詩は、「名詞止め」を褒められた。そのダム湖のある川を40年後にカヌーで河口まで40km以上漕ぎ下ることになるとは知る由もない。先生は元オリンピックで銀メダルを取った水泳選手の娘。先生が詠んだ下の俳句を今でも良く覚えている。その60年後には自分も俳句教室に通うという縁に驚く。 マスク取りて顔に笑いの広がりぬ 中学生時代に読んだ「人間襤褸」(「らんる」はぼろ切れの意味。著者は大田洋子で、広島原爆の被害の様子を詳細に記した小説。生々しい表現と被害の実態に驚嘆。ぼろ切れ同然に倒れ死に行く群像。中学生には残酷な現実だが、読んで良かったと思う。その何十年か後に2度訪れた原爆資料館。この本は文学少女だった姉の蔵書。私の詩を新聞に投稿し、詩集を仲間に売ってくれた美人の姉は若くして死んだ。 湊町銀天街の古書店を訪れたのも中学時代。私が見たのは美術全集や古い彫刻など。美術や歴史に惹かれる素地は、多分あの時代に築かれたのだろう。1年の担任美術のF先生にもなぜか可愛がられた。養子だった先生は、きっと東北から四国に流れ着いた私に、ある種の哀れみを感じていたのではないか。松山に赴任し40年ぶりに再会した際、先生は椿の花の版画をくれた。今は懐かしい少年の日の思い出だ。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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