如何なる逆境の中にあっても
地獄に落ちたとき、人は正体を現す。強いか、弱いか、臆病か鈍感か、獣性か理性か、悪魔か神か、それぞれの本質が暴露されます。たとえば、焼かれて、叩かれて、冷やされ、それを何回も繰り返されて、ついには名刀が出来上がるのは、その本質、正体が鉄であるからであり、草木や岩石、燃えるゴミなら燃えて、砕けて、溶けて灰となって風と共に消えていくのであります。 しかし、DNAによる人間の個性、特性は定まっているとしても、環境によって育まれ、形成されていく人格の根源は生れ落ちた時は無垢でありますので、悪い性格、獣性というのはその人が悪いのではなくて、それを植付けた周囲の悪影響や逆境が悪いということになります。 つまり、真の意味で根っからの性格の悪い人間はいない、ということです。問題は正しい教えに遭遇して、それによって己を改造していけるか否かであります。 しかし、残念ながら今の世の中、右を向いても左を向いても悪い環境や逆境で心、人格を破壊された人間だらけでありまして、独善的な金や権力の亡者が多い。しかし、そういう中でも、あなたのような素晴らしい精神と人格の持ち主が居られますので、人類はかろうじて救われておるのであります。 傷つき破壊された人格故に、生きるということは大変なことであります。それを認識いたしますと、生きていくのがより困難になりますので、ほとんどの人間は無意識の中にそれを抹殺して生きている。しかし、それでも大変なことでもあります。金がない、明日はどうなるか、出来の悪い倅は大学を卒業できるのか、流れ星が落ちてきて急所を直撃し、そのままあの世行きとならないだろうか? 薄くなった頭髪が完全にはげてツンツルテンになったらどうしようか? 不安は不安を呼び、焦りは焦りを呼び、さらに絶望の悪い状況へ陥れていく。そして、物事の判断は冷静さと正確さを欠き、己の願望、欲求、好き嫌いによって都合の良い方向へと進んで現実を無視してしまう。その結果、事態や状況は悪化の一途をたどるのみとなります。 そういう状況下にある人間に対して、下記のおさしずは大きな心の支えになると思います。いかなる逆境の中、不自由の中にあっても迷わず恐れず焦らずに、しっかりとした精神を定め、絶対的な信仰を持って日々を通れば、それは、火の中では蓑(みの)となり、雨の中では傘となって親神様が守ってくれる、ということです。 ”不自由は一つの事情、精神の定めあい。一つの精神の理で治めるならば、火の中,、水の中でも治めさす。心締まり一つの理は第一。火柱、水柱、悪の理上でも、精神一つの理で治まるという” (明治22年2月23日おさしず)。