疲れたなぁ…整理してみよう…
最近、鏡を見ると、びっくりする。老けたな~。疲れた顔してるな~って。以前は、顔立ちが幼いのもあって、常に実年齢よりも若いと思われていた。でも、今は、やばいよやばいよ。なんか、ホント、生活に疲れたおばさんの顔だよ。旦那とは、2年半の付き合いの後、結婚した。理由は、ようが出来たから。ようがいなかったら、結婚は…正直、していなかった。結婚前から継子達の事には、疑問符が多かったから。躾、野放しじゃん!誰だよ、家の中に野猿連れ込んでるの!って、思う事もしばしばだったから。義母への不信感は、だから、この時から有った。結婚にあたって、私は旦那に言った。「言い辛いんだけど、正直言って、貴方のお母さんの育て方と、私の育て方は、全然違うの。 だから、義母さんとは一緒に暮らせないと思う。…とは言っても、 ひこもきぬも、義母さんを本当のお母さんだと思っているんだから、 突然引き離すのは可哀想だよね。 で、一年間だけ、義母さん達とは同居する。でも、その後は別居。 それで良い?」旦那は、「判ったよ」と言った。同居を始めて一日目から、前途多難だった。当時、ひこは小2、きぬは保育園の年長さん。二人は、まだ着替えを義母に手伝って貰っている状態だった。お風呂から上がったひこときぬにパジャマを着させてやる義母。私は、着替えなんて自分でやるもんだ、という考えだったので、特に手伝う事も無く2階へ上がっていった。すると旦那が凄い剣幕でやって来た。ひこときぬが義母にパジャマを着させて貰っている…。仕事から帰り、その光景を見た旦那は、私にこう言ったのだ。「何でお前が着させてやらないんだよ!お袋に押し付けやがって!」びっくりした。私は、物心付く頃には自分の服は自分で着ていた。NHKの”お母さんと一緒”等を見ていても、大体3才半位の子がパジャマを一人で着ている。6才と、7才の子が出来ない筈は無い。何故、着せてあげなければならないのか?私が、「着替えなんて自分でやるものだと思うから、手伝う気は無いよ。もう、一人で出来る歳でしょ?」と言うと、旦那は苛々した様子で「勝手にしろ!」と怒鳴り、部屋に篭ってしまった。なんて事だろう。旦那も義母と同じ考えだったんだ…。普段、義母の甘やかしに困っていると言う風な事を言っていたくせに…。継子達と一緒に居て、一番辛いのは食事の時間だった。旦那と付き合っていた時は、余りにも酷いので一緒に食事を取らないようにしていた位だった。箸の持ち方も満足に教えて貰っていないので、モノが上手く取れない。自然、彼等の周りには食べ物が散らばり、犬食いにもなり、そして最後には手掴み…。口を閉じて食事をする習慣も無いので、ぺちゃぺちゃと音がする。口の中でぐちゃぐちゃになった食べ物が見える。箸を置く時にはご飯茶碗のご飯に箸を突き立てて置いていた。食事中に用も無いのに立ち歩き、時にはおもちゃで遊び始めたり、飛び跳ねたり。野菜は一切食べず、勧められても「要らない」の一言。気に入ったものがあれば、義父母の皿のモノまで食べる。勿論自分用に取り分けられている野菜類は残す。食事中にテレビなど見せれば、それこそ食事そっちのけでテレビだ。窘められ、ようやくご飯を口に運んでも、目はテレビを見ているから、ぼろぼろとご飯がこぼれ落ちる始末。義父母は、そんな継子達に一言の注意も無い。一緒の食卓で食事をするのも苦痛な程だったので、注意すると、ひこは舌打ちした。それをまた注意すると、義母はひこを庇うように、「ボクは舌打ちが癖なのよねぇ?」癖にさせんなよ!舌打ちなんて!義両親と同居して、最初の一週間は義両親と共に食事を取っていたが、その後は、旦那と私と、継子の4人で2階で食事をするようになった。義両親も居なくなったので、食事の躾を始める事にした。義両親の前で叱るのは、暗に彼らの躾の拙さを攻めているような気がして、気が引けたし、我慢できずに継子達に注意しても、彼らは「まぁまぁ…」と、継子を庇うのでやり辛かったのだ。継子達が先に書いたマナー違反を犯す度に、注意。注意。注意。注意。注意。注意。注意。…。一度染み付いた習慣が、一日二日で取れるはずも無い。私としては、根気良く続ける積りだった。だが、旦那が爆発した。「お前は注意しすぎだ。2階で食事するようになってから、あいつらは全然楽しそうに食事してないじゃないか!」「…でも、みんな、やっちゃいけない事ばかりだよ。注意しないわけにはいかないでしょ?」私の反論に、旦那は、「食事は楽しくするもんだ。今の状態じゃ、あいつらが可哀想過ぎる」と言って聞かない。…でも、私は、一緒に食事するのも苦痛なくらい不快な思いをしているんだけど。継子達のマナーを不快に思わないのは、旦那と義両親位のもの。普通は、嫌な思いをするよ?旦那は、言い返す私に「もういい、さっさと部屋に戻れ!」と怒鳴った。旦那は結婚してから、自分の都合が悪くなると相手をその場所から追い出したり、自分が逃げたりするようになっていた。恐らくは、以前から持っていた習性。私が気付かなかっただけなのだろう。結婚前は、ここまで喧嘩する事など無かったから、この一面を見る事が出来なかった。ひこは、約束を守る事が出来ない子だった。帰宅時間をいつも破った。約束を守る気がそもそも無いようだった。旦那が叱っても効果なし。私じゃ、当然無理。義母は、約束を守らなくても構わないと思っているようだった。毎日言っても直らない。一週間以上注意し続けたある日、習い事の時間になっても帰らないひこに、私は言葉での言い聞かせに限界を感じた。私はひこを呼び、今までの経緯を説明し、ひこを納得させた上でお尻を叩いた。習い事に30分遅れたから、30回。…と言っても、ズボンの上からだし、叩いた私の手も全然痛くなかったから、たいした事は無い。…筈だった。翌日、私は義母に呼ばれた。ひこのお尻を叩いた件で、話が有ると言う。義母「子供はね、絶対叩いちゃ駄目よ。虐待よ?今じゃ、学校の先生達も、着替えの時に 子供達の体をチェックしているんだから、絶対駄目。 30回もお尻を叩いたって言うじゃない。やり過ぎよ」私「そんな、虐待と言われるほどの事はしていません。痕も残っていない筈です。 第一、毎日注意して、全然直らなかったんです。私としても、軽々しく叩いた訳では有りません」義母「でもね、それなら勉強させるとかして…」私「処罰として勉強をさせる気は有りません」義母「でも、叩くのは駄目よ、貴方はそうやって叩かれたかもしれないけど、虐待よ」まるで、うちの親が虐待をしていたかのような、哀れむような目をして言う義母。義母さんは、継子達に躾をしてあげないと言う、精神的な虐待をなさってますよね。言いたかったけど、我慢した。義母は続ける「うちはね、お小遣いなんかも、子供達が欲しがるだけあげていたの。 やっぱり我慢させちゃ駄目よね。万引きとかしちゃうから。」「私、保母もやっていたから、育児にはそれなりに自信あるし、貴方も育児書読んで勉強したら?」義母の話をなんとも言えない気持ちでぼんやり聞いていた。一つ判ったのは、私とは全く違う世界で、全く違う価値観の元、生活してきた義母と私は、絶対に合わないだろう、という事だった。続く…かもしれない