希望
映画監督の新藤兼人さんが100歳で亡くなったと報道がありました。生涯現役、昨年の作品を最後に引退したといいながら、まだ心の中に新しい構想もあったようです。 先日、学生時代の恩師が97歳で亡くなり、お通夜と告別式に参列しました。亡くなる3日前までお元気だったそうです。私が短大時代、先生の「映画演劇論」「芸術論」「美術史」という授業が楽しみで、私はいつもかぶりつきの席に着き、熱心に授業を聴いていました。(それ以外は全然覚えていません)「先生が好き!!」と周囲に公言し、一緒に写真を撮ってもらい、先生は本業が詩人でしたから、詩も読みふけりました。当時すでに72歳だった先生の頭のよさ、感性のしなやかさ、話されるお話の面白さ。ルックスも好きでした。彼方に大きく輝く星・・・そんな存在でした。卒業して25年、年賀状のやりとりだけで、お会いすることはありませんでしたが、毎年、返事があって「あ・・・生きてはる・・・」とほっとするのでした。しかし、先生はただ生きていらっしゃっただけではなく現役の詩人として創作を続けていらっしゃいました。今年、昨年出版された詩集で、ある賞を最高齢で受賞されました。6月東京で行われる授賞式にも出席される予定だったそうです。その中で今の私の心に響いた詩です。「いま」もうおそい ということは人生にはないのだおくれて行列のうしろに立ったのにふと 気がつくとうしろにもう行列が続いている終わりはいつも はじまりである人生にあるのはいつも 今である今だ「待つ」待って待っても待つものは来ず禍福はあざなえる縄というのに不幸のつぎはまた不幸の一撃ふたたび一発わざわいは重なるものとも知らずもう疲れきってもうどうでもいいとぼんやりしていたそれが幸せだったと気づかず息子さんが「父は詩人、映画評論家、会社の経営者、大学の教授と4足のわらじを履いて、人の4倍生きていると言っていました。何度も苦難に合い、その度に「なんとかなる」と言って乗り越えてきました」とおっしゃっていた言葉が心に残りました。先生は二児を亡くし、経営していた会社が倒産し、おそらく私が想像できないほどの苦しみを味わったと思います。そんな経験を経て、97歳まで現役を貫いた先生の言葉は、私たちがこれから歩く道の先を照らしてくれているようでした。昨年の新聞のインタビューの記事から以前親しい人が次々と亡くなりました。波が引いた後に一人だけ海岸に残されたような感じです。4年前に妻に先立たれ、一人暮らしです。さびしいですが、死を恐ろしいとは思いません。肉体は無くなっても、魂というのはいろんな形で残るんじゃないですか。だったら、そう大層なものじゃないなと。あの世というのは信じていません。人間だけがあの世で楽できるなんて厚かましいですから。 私もあの世は、信じていないのです。「いま」をやはり精一杯楽しみ生きたいと思います。「いま」を。