カテゴリ:日本映画人列伝
世界的に名前が知られた日本人の映画監督は、大勢います。
しかし、メガホンをとった映画のキャラクターのおかげで、 世界中にファンを作った監督は、おそらくこの方くらいでしょう‥‥ 本多猪四郎監督です。 本多氏は山形県鶴岡市生まれ。 日大藝術学部映画学科卒業後(モイラの大先輩!)、東宝の前身PCLに入社し、 時の巨匠・山本嘉次郎監督の門下生となります。 監督デビューは、同期の黒澤明監督、谷口千吉監督に比べると遅く、 昭和26年、「青い真珠」で。 なぜ監督デビューが遅かったか‥‥? それは、三度も徴兵されて、八年間も中国大陸で鉄砲担いでいたからです。 で、昭和28年の「太平洋の鷲」で、 特撮の神様・円谷英二大先生と初コンビを組み、 翌年のこの大ヒット作で、日本ばかりか、アメリカにも名を知られるように‥‥! 以後、たびたび円谷大先生と組み、以下のような特撮の名作を撮り、 そのたびに話題を呼びました。 「帰ってきたウルトラマン」、「ミラーマン」、「サンダーマスク」など、 テレビの特撮も多く手がけています。 平凡な日常生活の延長上に、異常現象が‥‥! というのが、本多マジック。 怪獣、宇宙人、変身人間といった、異常現象の中でも、 徹底してリアリティを追及した演出が、 ヘタをすればただの荒唐無稽作品になってしまうSF映画を 上質な娯楽作品に仕立てているのです。 東宝で同期の黒澤明監督とは、大の仲良しだったそうですね。 でも、性格はまるで正反対だったようです。 黒澤氏は、大物役者だろうが人気俳優だろうが、 思い通りの演技をこなせなきゃ、怒鳴りまくるタイプだったのに対し、 本多氏はとても温厚で、仕事中、声を荒げたこともなかったそうな‥‥ 黒澤監督が肉食動物なら、本多監督は草食動物でしょうか。 ある日、黒澤監督は本多監督をこうねぎらったそうです。 「イノさんもがんばってるねえ」 「いやあ、ぼくなんかのは、クロさんのような映画じゃないから‥‥」 そう本多監督が謙遜すると、黒澤監督、間髪入れずにこう言ったそうな。 「何言ってるんだい。外国の百科事典には『ゴジラ』って単語が出てるんだよ。たいしたもんだよ」 その昔、「黒澤監督がゴジラを撮るらしい」という噂が流れたそうですね。 しかし‥‥黒澤監督が「ゴジラ」のメガホンとらないで正解でしたよ。 等身大のゴジラや高層ビルでも作って、予算大幅にオーバーして、 ヘタすれば東宝をつぶしていたかも。 まあ、それはそれで、めっちゃ凝りに凝ったゴジラを作って、 観客をわかせていたでしょうね。 やっぱりゴジラはイノさんです! にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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