カテゴリ:独断と偏見に満ちた映画評
'61年に公開されるや、当時の日本映画界に衝撃を与え、
多くの映画人を「すごすぎる!」と震撼させた 羽仁進脚本&監督作品の「不良少年」(岩波映画) 全く無名の不良少年達をキャストに起用し、 不良少年たちの生態を徹底したドキュメンタリータッチで描いた 羽仁監督渾身の名作です。 出だしは主人公の不良少年・浅井ヒロシが乗せられた、銀座の繁華街を走る護送車。 高度経済成長の幕開けを象徴するような華やかな町並みと、 よどんだ空気の流れる灰色の護送車の対比が、観客をひきつけます。 おまけに銀座を撮影中、たまたま「○○の宮」という皇族が町を歩いていて、 行きかう人がその皇族のほうを次々振り向くというおまけつき。 そこにかぶる主人公浅井のモノローグに、また観客はぐっときます。 「俺は銀座を歩いたことがない。護送車の中から見ただけだ」 そこで初めて、メイン・タイトル登場‥‥ 映画は、浅井少年の鑑別所生活、それに続く少年院生活と、 シャバにいた頃や、幼い頃(戦災孤児だった?)回想が、めくるめく交錯します。 不良仲間と夜の浅草をブラつき、カツアゲをはたらき、女にちょっかいを出しと、 その夜その夜を勝手気ままに生きる彼ら。 しかし、人の心まで忘れたわけじゃない。 幼い頃、あてもなく町をうろついていた時、 娼婦に「坊やどうしたの?」と声をかけられ、風呂に入れてもらい、 一晩泊めてもらったことは、両親の愛を知らぬ浅井少年にとって、 唯一、心あたたまる思い出として残っている。 少年院の生活はつらい。年嵩のボスがパンをピンハネしている。 でもそれくらいのことでめげる浅井少年ではない。 それに少年院でも楽しいことはある。溜まりに溜まった鬱屈を発散できる運動会だ‥‥ 不思議な映画でした。 これといったストーリー展開もないのに、 観客をひきつけて放さない「見せる」(魅せる)作品でした。 アウトローと呼ばれる少年たちを、これほど生き生きと描いた作品は、 恐らく他にはないと思います。 パリの裏町で寂しげなアコーディオン弾きが奏でるような 武満徹の哀愁漂う音楽も素晴らしかったです。 しかし、この頃の不良少年って、今の非行少年、ニート、ひきこもりと比べれば、 ずっと大人ですね。 窃盗、恐喝、強盗と、悪いことばっかりやってるんだけど、 精神的にも経済的にも自立してるっていうのかな? 思うに、彼らの殆どが親がいなかったり、家庭があってもひどく劣悪な環境で、 親や家庭などあてにならず、町に出て身ひとつで食っていくほかなかったんだろうと思います。 今、グレている子は、「親(または学校、教師)が悪いから俺はこうなった!」(それはもちろん多くの場合、正論だけど)と叫ぶようだけど、 映画に登場する少年は、誰一人言っていませんでした。 「親が悪い」「世間が悪い」「学校が悪い」なんて。 そんな泣き言を言っていられるだけ、今の時代は恵まれているというものなんでしょうかね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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