【粗筋】
旅の途中、行き合った男が沢山の煙管と日本国中の煙草を出す。こちらも好きなので1本1本吸いながら、これは野州の野口、秦野の裏葉、国府の車田……と当てながらのんでいくが、あまり多いので嫌になり、それでもどんどん勧めるのでとうとう逃げ出した。追われ追われて寺に逃げ込み、かくまってもらう。追って来た男は、「裏門から逃げた」という坊主の言葉を信じて飛び出して行った。
「もう大丈夫ですぞ。戻って来ないうちに、お行きなされ」
「やれやれ、お陰で助かりました。落ちついたところでまず一服」
【成立】
安永5(1776)年『立春噺大集(りっしゅんはなしのおおよせ)』上にある「好の論」。上方ではこの原作に従って、煙草好きが一度に何服のめるかという話になり、50服続けてのむという賭をしたが、後少しのところでもう嫌になった。のめなければ賭金を出せというので逃げ出して同じ落ちになる。安永7年『落語花之家抄』の「煙草好き」も同様に百服吸う賭けであと一服に嫌になって逃げる。「蕎麦清」と同じようなものだが、煙草なら後一服我慢しろよ。上方では、寺に逃げ込んで鐘の中に隠してもらう場面が加わるので「煙草道成寺」という題になる。これは「道成寺縁起説話」からの引用であるが、この場面は捨てがたいものがあるが、筋書きそのものは東京版の方が合理的で面白い。「煙草の競争」とも。
武藤禎夫は、柳家小さん(3)の速記にあるだけで演り手がないが、もともと小噺に肉付けした程度なのでマクラにふられることはあると言っている。その肉付けしたものが落語なのである。上方は米朝一門のを聞いたはずだが忘れた。東京では柳家三三を聞いた。
【一言】
いまも縁起絵ときをやっている寺は、紀州道成寺と大和当麻寺(当麻曼陀羅)であろうか。どちらも謡曲・人形浄瑠璃・地唄・舞踊でよく知られ、地方芸能にもとり入れられているので、観光バスのコースにパックされ、信仰とは無関係な観光客用の興行物になっている。話が知られすぎているため、一ヒネリしないと落語では扱いにくいネタである。
【薀蓄】
未成年者の喫煙を禁止したのは明治33(1900)年3月7日に公布された「未成年喫煙法」。現在もこれによって罰せられる。監督責任の親が1円以下、売った者が10円以下の罰金となっている。ずいぶん安いなと思ったら、貨幣価値に従って換算されるので、ずいぶん高くなるそうだ。罰金を払うくらいなら、ガムでもかんで我慢しよう。そうすると、煙草代と罰金の分でかなりお金がたまって、宮殿を建てることも夢ではない。バッキンガム宮殿といって……おそまつ!!