【粗筋】
三上山の麓で、俵藤太がムカデを射たが、矢が立たない。2本目の矢をつがえて神に念じると、ムカデは人間の唾を嫌うとのお告げがあった。矢に唾をつけて狙いを定めると、ムカデが、
「2本目にツバはいりません」
【成立】
俵藤太が、竜神に頼まれてムカデ退治をしたという伝説がある。2本の矢をはね返され、ムカデが人間の唾を嫌うということで、3本目の矢に唾をつけて退治した。竜神から、鎧兜、米俵、釣鐘をもらったが、釣鐘は持て余して三井寺に寄進したという。『三才図会』では、どうして海底に釣鐘や鎧兜があったか、海の底でも米を食っていたのかという疑問を記している。
【一言】
唾と矢の関係で笑わす一種のバレである。(宇井無愁)
【蘊蓄】
平将門を討った功で一躍有名になった俵藤太、ムカデ退治や龍宮の伝説は後から作られたものであるが、『太平記』にも載せている。俵という名前の由来には次の説がある。
1 出身地から取った。大和田原、近江田原、下野田原の三つの説がある。
2 年貢米徴収の役に当たっていたことから「俵」がついた。
3 龍宮で土産に米の尽きない俵をもらったので「俵藤太」。
龍宮に行ったというのは、罪に落ちて左遷されている期間を、美化して作られたものと思われる。名前が俵か田原か色々あるのも、もともと大した身分の者ではなかったということ。
将門の従兄の平貞盛と協力して将門を討って、一躍英雄になったが、二股をかける人物で、どちらが飼っても利益を得るようにしていたという。将門を討った後、間もなく亡くなって、土地は自然に貞盛のものになり、貞盛の子が伊勢守となり、次第に瀬戸内に権力を広げ、5代目に清盛が登場する。