【粗筋】
大変な癇癪持ちの若旦那、花を生けていた所へ来た丁稚の返事が悪いと、持っていた木鋏を投げつけた。鋏が畳に刺さり、小僧が泣いて逃げるのを見て、番頭が異見に登場する。小僧の不始末をわびているうちに、畳の鋏を見つけて驚いたふりをすると、
「まさか、あんさんが丁稚に投げつける、そんなことはごわへんやろなァ」
親の元にあれば可愛い息子、その人様の息子に怪我をさせては申し訳がない。癇癪を起こして叱るよりも静かに言い聞かせる方が効果があるということをこんこんと諭した。若旦那も異見が身にしみたのか、涙を流して反省し、これからは腹が立っても怒鳴りたてず、耳もとでそっと叱ると約束をした。
数日後、お茶会が開かれたが、丁稚が畳のへりにつまづいてお椀を引っ繰り返してしまった。若旦那は怒鳴りつけようとして思いとどまり、丁稚をそばへ呼んで何かを言う。とたんに丁稚がウワーンと声を上げて泣き出した。番頭が丁稚を部屋の外へ連れ出し、
「注意をされて泣き出すとは何事じゃ。いつもならげんこつの二つも張られているのじゃぞ」
「頭張られる方がましでございます」
「何じゃと……若旦那は耳元で何とおっしゃったんや」
「耳をジカジカッとしがんででした」
【成立】
「耳じかじか」とも。明治時代に演じられていた記録があるが、現在では演じ手がいない。現代に復刻するなら「耳に噛みついていらっしゃいました」という落ち。安永2(1773)年『聞上手』の「悪い癖」は「肩へ食いついていた」という落ち。
【一言】
他の噺ではめったに聞くことのできない番頭の意見である。船場のあちこちの店の奥座敷では、こんな意見が実際に行われていたにちがいない。店には父親よりも煙ったい大番頭という存在があって、若旦那を一人前の船場商人に育てあげていたのである。理をもって叱り、情をもって諭すという「小言」の見本のようなもんで、企業の管理職には参考になる話術かもしれぬ。(小佐田貞夫)