落語「く」の41:廓大学(くるわだいがく)
【粗筋】 吉原に入り浸りの若旦那、いよいよ勘当かという時に、番頭が今は反省して二階にこもって「大学」を読んでいると助け船、親父もしばらく様子を見ることにした。若旦那の方は次第に我慢ができなくなり、吉原のことを思い出しては一人言、大声を上げて親父に聞きつけられてしまう。見つかった『吉原細見』の本を『大学』だと見せ掛けて、「大学、朱憙章句、ご亭主の曰く、大学の道は道楽を明らかにするにあり、金を使わすにあり、自然に泊まるにありと……」「どうもあやしいな。なんだ、この本にある松山・玉章というのは」「マツヤマ・タマズサではなく、ショウザン・ギョクショウという、儒者の名前です」「変な名前の先生だね。どこにいるんだい」「行ってごらんなさい。ズラリと孔子の家(格子の内)に並んでいます」【成立】 安永2(1773)年『今歳花時』にある「額」は、吉原の大門に「大学」と書いてあるのが分からず、「大学は格子(孔子)の居所(いしょ)にして、諸客(しょかく)床に入るの門なり」と説明されると、「しかうして後にへきす、か」という小噺。寛政8(1796)年の『喜美談語』にある「学者」が更に落語に近い。落ちは『今歳花時』と同じ、「孔子の家」を吉原の「格子の内」と洒落たもの。これがこの落語の原作と紹介されているが、「大学楼」の方であろう。 若旦那の台詞は、もちろん「大学」のパロディ。原文は「大学の道は、明徳を明らかにするにあり、民を親(あら)たにするにあり、至善(しぜん)に止(とど)まるにあり」。 遊女の名前を音読みして堅苦しくするのは、「松葉屋瀬川」にも用いられているくすぐり。【蘊蓄】 大学」は儒教四書の一つ。朱憙(朱子:1130~1200)が注釈、改定したので、日本では朱子学と呼ばれた。一方、「吉原細見」は「新吉原細見記」で、吉原の店や遊女の名まで詳細に紹介された案内書。絵図付きで、毎年改定されたが、延宝年間(1673~81)から大正5年まで、230年に渡る大ベストセラーとなった。