機能美
新しい包丁を買った。高価なものじゃないのだけれど、新しい包丁はピカピカで、とてもよく切れそうだ。惚れ惚れと刃を眺める自分がいる。鋭い刃物って美しいと思う。けど、それを口にするのはなんとなく気が引ける。刃が美しいなんて、「いかにも」な感じだ。耽美派の小説に憧れてる少女なんかが言いそうなことという気がする。でも、綺麗だと思ってしまう。だいたいなぜ刃物なんて美しいと思うんだろう。よくよく考えれば恐ろしいものではないか。「怖いもの見たさ」と同じような理屈だろうか?自虐的な気持ちと同じような構造だろうか?遠回しな自殺願望?破壊衝動の表れ?なーんて考えていて、ふと思いついた。そんなんではないぞ。刃が良く切れそうなのを美しいと思うのは、「機能美」だ。たとえばMeteorは、バターナイフを5本以上持っている。フォルムが綺麗、という理由で買い集めてしまった。しゃもじも3本持っているし、湯呑みも何客も持っている。全部見た目の美しさに惹かれて買った。そして共通して言えることは「使い易い」ということだ。見た目の美しいものは使い易い、という図式は成り立たないかもしれないけれど、使い易いものは見た目に美しい、と言う図式なら成立する気がする。機能美。高村光雲がそういう文章を書いてたな。まさに、しゃもじの話だったと思う。どうにも使いにくいしゃもじを削って(彼は彫刻家だものね)使い易くした、そうしたらそのしゃもじががとても美しいということに気づいた、という内容だったか。そんなことが実感できて、ちょっと嬉しい秋の夕暮れ。芸術の秋に浸れた気分。