フィギュアは愛である
4月のパウエルの会ではわずか1時間足らずのアキバ探訪だったので、物足りなかったのですが、日頃見ないフィギュアの世界を垣間見ました。パウエル四月号//ゴーヤテンプルさんの千夜一絵秋葉原のラジオ会館の大半を占めるようになったフィギュアのお店のショーケースにぎっしり並べられた様々なキャラクター達を眺めながら、フィギュアって何だろう?と考えてしまいました。あえて定義づけるなら、漫画やアニメ、ゲームなんかのキャラクターを立体的に具現化した物がフィギュアと呼ぶようです。普通の人形とは違う。普通の人形と何が違うかというと、フィギュアに込められた作り手の情熱というか情念といったものではないでしょうか。たとえば北斗の拳のケンシロウのフォギュアを作ったり集めたりする人の思いは、対象であるケンシロウそのものに注がれており、フィギュアはその思いや愛情を具現化したものではないか。つまり、ケンシロウを賛美し、本やDVDを買い集めたりする行為の延長線上にフィギュアがあるのではないか、そうだとすると、フィギュアは愛を表現する一表現手段なので、作り手によって様々なケンシロウフィギュアが存在し、その仕上がりはまさに微に入り細に入り、凄い手間がかかった作品となる。フィギュアを見る人たちも、そのフィギュアに作り手の熱い情熱や執念を読み取っているのではないか。ではその対極にある人形は何かといえば、人形(パペット、ドール、スタチュー)はそれが何かをモデルに作られたにしろ、出来上がった時点で個として存在するものじゃないでしょうか。たとえばキティちゃんはアニメにもなり、実際に存在するキャラクターのようですが、すでにキティは概念として存在するだけで、女の子達が愛するのは、自分の腕の中にある「着ぐるみキティ」であり、「海洋キティ」なんですね。個々にかわゆい存在であればよい。だからこてこてに作り込んだキティちゃんなんか存在しない。ただ、美少女フィギュアについてはひょっとしたら、そのモデルに対する愛情から離れてフィギュアだけに入れ込んでしまってる人もいるのかもしれませんね。このあたりは心理学的な世界が介入するのでちょっと自信ありませんが。ま、とりあえずこんなことをフィギュアショップの老舗の海洋堂前で考えてしまいました。