これを聴いてやってます~第九は大工~
バックグラウンドミュージックとして、昨日はベートーベンの第九交響曲を聴きました。「合唱つき」で有名な曲です。(まるで「おまけつき」みたいだけど、これが重要な楽章です)できる限り大音響で聴きます。「これを聴いてやってます」つまり、仕事に励むことができる背景音楽のはずでした。しかし、彼の音楽は知らず知らずCDデッキの正面に向きなおり、全身全霊で聴かざるを得ないそんな力があります。「お前、しっかり傾聴せ~よ」という、がしっとした強制力があります。第九は「大工」の曲だとつくづく思います。何回もぶっこわし、何回も作り上げる・・・そんな曲です。この交響曲は思い出深い曲です。高校生のころ、メゾソプラノで何度も演奏会に出ました。外山雄三さんの指揮で京都市交響楽団とともに、あちこちで演奏しました。もちろん、たくさんの合唱団員の一人ですけど。白い手縫いのドレスを着て出たの、なつかしいな。だから、耳にたこができるほど、たくさんこの曲は聴いています。3楽章の緩序楽章(ゆっくり静かな楽章)が最高です。この楽章があるから、第4楽章の「歓喜の歌」が映えるのです。緩序楽章の決った「ある部分」にくると、何度も涙があふれてきます。まるで、自動涙製造機の場所のようです。ボタンを押すと出てくる。そして待ちかねた第4楽章。「大苦」(苦悩)を通して歓喜へ至るといわれている曲です。この曲を書いたとき、ベートーベンはまったく「音」が聞こえませんでした。演奏会でブラボーの嵐が起きたときも、歓呼の声を上げ続ける観客に向きなおす楽団員がいなければ、全然気がつかなかったのです。音が聞こえず、作曲を続けたベートーベンの苦悩はいかほどだったでしょう。この歓喜の歌はまるで大騒ぎの踊りのような音楽です。私にはしっかり「阿波踊り」の音楽が聞こえます。狂喜乱舞のうちに、盛り上がって終わります。すべての楽器がフォルテッシモで終えた後、全身に電流が走ります。(よく言われる表現ですけど)気分が高揚し、感動の嵐に包まれます。(よく使われる表現ですけど)まるで、タロットの「世界」のようです。大団円を迎えた人生の終末。ああ、でも久しぶりだわ。スポーツをやった後のような音楽を聴くの。いつもは宮下富美夫さんのようなリラックスさせる「ヒーリングミュージック」が多いもの。私も大分体力が回復してきたかな?普段は若い人が聞くロックとか、音が心臓に負担がかかって体がもたないもの。でも、ベートーベンの大音響はスカッとしました。ということで、全然筆が進まない~。