ショパン幻想
ちょっと前になるが、NHK教育テレビでピアニストのマリア・ジョアン・ピレシュ(以前はピリスって言ったような・・・)の『スーパーレッスン』という番組を見た。ピアノ生徒たちを前に彼女はショパンの「幻想ポロネーズ」を弾いていた。あまりにものの叙情性、本物のロマンチシズムに耳が釘付けとなってしまった。ピアノのひとつひとつの音が私のハートに響いてくる。「こんなにピアノって語りかけてくるんだ!」と改めて音楽の素晴らしさに、がくぜんとしてしまった。実は、私はこの曲には特別の思い入れがある。音大時代に親友がいた。彼女はピアノ伴奏者として世界各地を回っていた。小柄でくるくるした可愛らしい瞳をしていた。それが30才の声を聞いたか聞かないうちに、ガンにかかってしまい、あっという間になくなってしまった。わたしはその訃報を聞いた翌日、一日中このショパンの「幻想ポロネーズ」を狂ったように弾き続けた。この曲は幻想の幕開けのようなフレーズで始まり、モチーフが次から次へとあらわれ、最後に偉大な盛り上がりを見せて【狂気のように】終わる。わたしは「なぜ!」「どうして!」という怒りをこめて彼女の死を悼みながら、ピアノをたたきつけた。悼みや哀惜の感情を、涙とともに吐き出すような思いだった。そんな思い出に浸りながら、テレビを見ている。生徒たち数人がかわるがわる弾く。彼らは20代前後だろう。それぞれの人生観や価値観がピアノを弾くとすべてあらわれてしまう。みんなとても上手。若々しく感傷的。でも、哀しみではなく悲しみを表現しているのだ。それにひきかえ多分60歳を越えていると思われるマリアの弾くショパンは、あらゆる人生の痛みを経てきたことが感じられる。演奏のテクニックが完全なのは当然のこととして、曲のディテールにも「語りかける」技術をマスターしている。「ああ、ショパンはこういうことが言いたかったのね」と改めて発見させられる演奏だった。20代の私の演奏はただ「感情をぶつける」だけの稚拙な演奏。それが洗練され、悲しみが哀しみとして表現されている。久しぶりに、この曲を弾いてみた。マリアの演奏を再現しようと試みるのだけど、どうしても、うまくいかない。耳に響いてくるあの演奏を実現させたいのだけど・・・どうしても、うまくいかない。プロフェッショナルになるには、わたしには相当の修業が必要。でも、今だから、ショパンの気持ちがわかる、音楽がわかるようになったのかもしれない。あの感動を得たいから、またショパンを聴こう、と思う。