あれから16年…今日は娘の命日
台風18号、今朝8時前に本州に上陸。各地で大雨や突風で大きな被害が出ているみたい。ここは朝は風だけだったけど、今は雨も風も強い。あ~ちゃんの大学も休講になったし、今日は外出しない方がいいみたい。どうしてもお出かけされる方、気をつけてね。今日は娘の命日、あれから16年。月日が経つのは早いなぁ~。今、元気で大学に通うあ~ちゃんにホントは弟と妹がいたのは以前にも話したことがあるけれど…また改めて。。。私には3回の妊娠、出産の経験があってね。平成5年9月にあ~ちゃんを出産!!妊娠中は何のトラブルもなく、2960gでポンと産まれた。な~んだ、障害のある私でも大丈夫じゃん!!って思えた。その翌年に双子ちゃんを妊娠して大喜びしていたんだけど妊娠初期から出血が続き、治まった頃一人流れてしまっていることがわかって。その後も成長が遅いとか、羊水が少ないとか、いろいろ心配ごとはあったけど赤ちゃんは元気でね。心音も胎動もしっかりしていたしね。8か月まで持たせてリスクを覚悟で帝王切開の予定だったの。でも待ち切れなかったのね。平成7年1月7日に自宅で大出血して病院へ、その時には心音はなかったの。悲しかった。旦那が病院の先生に「どうにかならないんですか?」と言ったのが今でも耳から離れない。その後すぐに陣痛が起きて、もう息もしていないのに自力で出てきてくれたの。平成7年1月8日に男の子を8か月で死産。安産だった。親孝行な子だったよね。この直後、阪神大震災があって、亡くなった方の情報を耳にするたびに自分の涙と重ねて、数週間泣いていたのを覚えてる。そして平成9年、あ~ちゃんが幼稚園に入園したのと同時に再び妊娠!!喜びもつかの間、何度も出血して入退院を繰り返した。それでも赤ちゃんはしがみついていてくれた。幼稚園に入りたてのあ~ちゃんもいろんなことを我慢してくれて赤ちゃんの誕生を心待ちにしていてくれた。お母さんが幼稚園行事に参加できなくて、寂しい思いをさせたよね。お弁当が持たせられなくて、先生にお昼のお世話もしてもらったっけ。夏休み中は落ち着いてたのに、9月に入ってすぐに再度大出血して入院。この時、赤ちゃんの心音はしっかりしているけど成長が遅いこと、死産する確率が高いことそれよりも妊娠を続けるのには母体が危険だと病院で言われた。それでも半月、出血を止める薬を使いながら入院を続けたけど、私の身体が限界だった。貧血で歩けなくなった。。。危険。。。究極の選択を迫られた。。。今ここで動いている赤ちゃんを。。。あきらめる。。。「絶対にイヤ」と言い張る私を一生懸命に説得してくれた旦那。きっと旦那も辛かったよね。そして平成9年の今日、妊娠6カ月と5日で帝王切開。女の子をお空に見送った。あ~ちゃんに似てたよ。私は手術時に1200ccの輸血を受けた。赤ちゃんのことしか考えられなかった私だったが、手術後、ここでようやく自分が危険だったことに気づいたのを覚えてる。赤ちゃんをお空に2度も見送って、すごく悲しかった。私がいけない?と何度も自問自答しながら泣いた。一緒にお空に行きたい…と泣いたことも。そんな私をいつも慰めてくれたのはあ~ちゃんだった。それに気づいたのはだいぶ経って落ち着いてから…親として恥ずかしい。あ~ちゃんが傍にいるのに、お空に行きたいなんて。あ~ちゃんはいっぱい我慢していたんだよね。他にも家族やママ友にもいっぱい支えてもらった。感謝。16年経った今でも、その時のことは鮮明に覚えている。みんな元気で産まれていたらどんな家族だったかな~なんて今でも思うこともある。きっと賑やかだっただろうなぁ~って。今は3人家族。いろんなことはあるけれど仲のいい家族だと思う。命日の今日、お墓参りには行けないけど、家族で思い出してあげることが供養かなと思う。私、身体が動きづらくて辛いなんて言ってられないね。こうして元気でいられるのも子供たちのおかげ。まだまだ頑張らなきゃね。長文にお付き合い下さってありがとう♪