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カテゴリ:拡大視野
ワタクシは長い間、「愛」と呼ばれるものの感覚がわからなかったのでした。
なんだそれ?美味しいのか? 大人になるまで二親揃ってましたし、世間並みといわれる家庭であったと思います。 過干渉でもなく放任でもなく、適度であったのでしょう。 だけども、感覚として「愛」っていうものが計り知れなかった。 特にわからなかったのが、私から愛を渡す、ということ。 おそらく心理学的に追求すると、原因は赤ん坊時期にあることがわかるのですが、 そこは今回、深く触れません。 そして、トシゴロになるとそりゃ恋愛にも目覚めますわな。 恋しい気持ちと愛しい気持ちは、どう違うのか。 どこで線引きをして、コレが恋、コレが愛、と区別するのか。 そんなことを、頭でこねくり回して考えたりもしていました。 そんな私だったので、自分では愛をいっぱい渡してるつもりでも、相手にしたら、なんか違う・・・と思われていたかもしれません。 愛されたいとは思っても、愛して尽くすなんて面倒…な気持ちもあり。 そんなんじゃ愛されるわけもなく。 結婚もいくつかの恋愛も破綻しました。 愛するって難しい…と、結構本気で悩んでました。 でも、再び結婚して子どもを産んでみて、やっとわかりました。 これが愛なのかぁぁぁ!と。 はっきりとわかったこと。 愛は、恋じゃない。 ←って私だけだよそんなの気付いたの…(^^ゞ 愛は、受け入れること。 それに気付いて、今まで恋人相手に、しっかりと愛してはいなかったなと思い知った。 ある制限を設けて、ここまで来たらOKそれだけじゃNGとか、条件付きだったり。 親に対しても、丸ごとの愛情で接してはいなかった。 それでもまだ限定的な愛情で、対自分の子、対家族、というとても狭義の愛でした。 それと並行して、世間をナナメに見るクセがあったというか。 まともに正直に生きるなんてアホくせぇ、とどこかで思っていた。 たぶん一度離婚したことで辛酸を舐めたので、そうやって傷付くことを避けていたのだと思う。 ふん、不倫のどこが悪いのよ、なんて嘯いたり。 私のことなんだから他人にとやかく言われる筋合いなんてないよ!とケンカ腰だったり。 どうせ私なんぞは、そのうち行き倒れでどこかで死ぬでしょうよ、と投げやりだったり。 世間のルールなんて無意味、私が私のルールなのよ!的にガチガチに肩肘張ってました。 自分でも思いますが、よくもまぁココまで角が取れて丸くなったもんだと(笑) 誉めてやりたい♪(…そこまで言うーー;) てかたぶん、亀の甲より年の功ですが…(爆) そんな私が今、無償の愛、無限の愛、万物に対する愛、全てを包み込む意識…。 たとえまだ自分の身にしっかりと植え付けられていないにしろ、 そこまで見渡せるようになった、ということがとてもありがたく。 でも、実践できているか?と問われれば、「まだまだです」と答える状況です。 ブログに書き記す言葉たちは、他人に向けてだけではなく、自分に向けて書いています。 以前からもそうでしたが、ブログに書くという行為は、私自身を鼓舞させ、固定させ、深層意識を表層意識に言葉として、しっかりと刻み込むための道具でもあります。 私はこれから、そうあるのですよ、という宣言でもあります。 有言実行ですな♪(笑) そして、意図することにも繋がりますな♪ 書くことによって、自分の表層意識だけでなく、銀河系集合意識にまで刻印できるかも♪ 確かに一つ前の記事を書き上げ、チャリンコで走っているとき、私の心の中は愛で溢れていました。 全てのものが愛しい… それを全身で体験していました。 言葉として、自分の想念の中に無償の愛を刻み込んだようでした。 前から来るしかめ面のオッチャンも♪ ゲートのように道の両脇から枝を重ねている銀杏の木も♪ キラキラ光を弾く川面も♪ 数年前、この場所でポジ&ネガごちゃ混ぜ想念を宇宙に発していた自分自身も♪ あ、そうそう、川を渡る橋の上で、私は何気に心の中で大きな声で、 「私はアセンションすることを意図します!」と叫んでいました(笑) え?何故にそれを叫ぶ?と思いましたが、どうやら、まだまだ上を目指す所存のようです。 愛とは何ぞや?と迷っていた私が、愛に溢れる非母観音に1歩ずつでも近づける… などと想像すると、ワクワクするではありませんか♪ そんなわけで、私は今に留まらず6次元アセンションすることを意図します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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