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カテゴリ:拡大視野
そういうものは、何もない。
何をやっても良くて、誰にも禁止されることはない。というと、 じゃあ人殺しをしてもいいの? じゃあ盗みをしてもいいの? じゃあ騙してもいいの? 何でもしていいって言ったでしょ。 という3次元的疑問を抱く人もいる。 社会規範 その基本的大原則は? 「他者がいやな気持ちになることをしない」 それが生まれた経緯は? 「人間の尊厳の遵守」 ではどうすれば遵守される? 「誰もが自分らしく生きていること」 そういう問いをひとつひとつ投げかけてみて、それでも自分が人を殺したり、物を盗んだりすることが、自分のしたいことだと思うなら誰にも止められない。 自由を奪い檻に入れて監禁することは出来る。 だけども、本人の心の中でその行為を望むのを、止めることは出来ない。 しかし、これから弥勒の世に住むことになる人々は、おそらく自分だけではなく他者も気持ちよく暮らすことが出来る世界を望むであろう。 そうすると、先にあげた行為をしたい、と望むだろうか? 自分さえ良ければ他者はどうなってもいい、という気持ちを持つだろうか? やってイイことワルイことなど何もない。 それの意味するところは、自分勝手に生きれば良いということではない。 自分の行為が及ぼす影響を誰もが感じていさえすれば、これはやってイイ・これはやったらダメ、と規定する必要はなくなる、という意味だ。 この3次元社会は玉石混交のため、ルールが必要であった。 そのルールの発生した根源を理解していれば、今後はそれに縛られることなく、ルールさん、今までありがとう…と手放すことが出来る。 ただしそれは弥勒の世の話。 一日も早く、弥勒の世が多くの人々の心の中に顕現することを、意図します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.18 22:06:55
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