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カテゴリ:拡大視野
数名の、というよりも二十数名のアセンション達成者・意図者の皆様にお会いさせていただいて、感じたこと。
女性・男性取り混ぜていらっしゃったわけですが、性別を意識しない。 相手を「人」として感じている、ということ。 女性の中にほの見える、芯の通った男性性。 男性の中に見え隠れする、柔らかい包み込むような女性性。 柔和な温かい微笑みを湛えた女性でも、ふと見せる内面や魂の光に逞しい力強さを感じる。 どっしりと地に足を付けて、少々の風が吹いても倒されぬ心の強さ。 がっしりとした体躯の男性でも、瞳の奥の光や細やかな心遣いに言い知れぬ安堵感を感じる。 荒々しさのない、滑らかなギリシャ彫刻のような美しさ。 なぜだろう?って思っていた。 だけども、それぞれの魂の感覚器官となった個体は同時進行形で、女性を演じたり男性を演じたり、さまざまな環境に身を置いていて、私たちの魂の総元に全ての経験・感情を送り、また逆にその総元を通してそれぞれの自分が受け取っているのだろう。 その魂の総元というのは、自分のハイヤーセルフであり、アカシックレコードであり、宇宙であり、ご自分の想像しやすい対象で良いわけだが、そこに全部の情報を送りその中からいろんな場面に応じて、さまざまな情報を取り出しているのだろう。 そして、今回の輪廻転生最終章にたどり着き、その上アセンションを目指す人々は、たくさんの分派した自分を持っている人たちなのだろう、と感じていた。 だから…。 自分のうちに男性性も女性性も併せ持ち、今現在の3次元の装飾をどんどんと剥がしていくと、性別を超越して、中身の魂が表面に見えてくるのではないのかな?と。 昨日も友だちとの話の中で、時間を超越できないのに自分を超えたなどというのは傲慢じゃないのか?といわれたのだけれど。 今の私の感覚は、個体として今ある自分は感覚器官のひとつであり、自分であって自分総体でなく、過去を生きていた自分も、未来も然り、その総体としての意識集合体、いわゆるハイヤーセルフが自分自身…としたならば、時を越えているのではないか?と思った次第。 ならば、ココでPCに向かっている固体の自分を超えているし、すべての時間を生きているし、私という魂には「今ココ」しか、ないわけだ。 すんばらしい! なんて雄大なんだ! あ、話が飛躍した。 なので、「今ココ」しかないならば、色んな感覚器官が男だったり女だったりしているわけで、じゃあ今私が女でも中身に男がいても、別段オカシクないよな!?と。 だからどなたの中にも、女性性も男性性も見てとって、身構える必要もなく、もっと魅力的に感じ、自分とも溶け合う感情が沸いてくるのではないだろうか。 そしてもっと言えば、根源は、たったひとつ。なのだから♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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