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カテゴリ:拡大視野
私の仕事などでは、大声を出して呼び込みをしたりもします。
街中を歩いていても、ショップからは「どうぞご利用くださいませ~」だの「ただいま割引中ですぅ~どうぞ~」だのの呼び込みを聞いたことがあるだろう。 ショップの店員さんは、当たり前の顔をして笑顔を浮かべて大声を出している。 あるいは、マイクを持って「さぁ皆さん!本日は新商品のご案内です!」などと不特定多数に向けて笑顔で呼びかけるコンパニオンさん。 短いスカートでみんなにジロジロ見られても、平気な顔でパンフを配っている。 だけど初日から、アレをスムーズに行える人はほとんどいない。 ドキドキのバクバクだったり、思いっきり声が小さかったり。 しかし、いつのまにか店員やコンパニオンに成り切っている。 それは、意識が「自分は店員」「自分はコンパニオン」に成り切っているから。 私はコレをしていて当たり前。だってそういうお仕事だもの。 という意識。 数ヶ月前の自分とは、意識の変わった人になって現実と化している。 誰にでも経験のある、もっと判りやすい喩え。 ドキドキしながら新しい制服を着て、親とともに中学校の門をくぐる。 「今日からキミたちは、中学生です!」と校長先生のお話をきき。 お兄さんお姉さんの仲間になれるかなぁ勉強付いていけるかなぁ…なんて思っていたけど。 担任の先生と教科の先生が違うなんて、難しそうだなぁ…とかね。 翌年の春には、元気ー!はつらつー!と新入生の案内や部活の紹介などをしていたり。 そしてもっと真骨頂。 ドキドキしながら新しい制服を着て、親とともに(デジャブ?)幼稚園の門をくぐる。 「今日からセンセイと一緒に遊びましょう!」という一声で。 「はぁ~い!」「さぁお唄を歌いますよ~」 楽しそう!と思った瞬間から、もう意識は幼稚園児。 帰ってくる頃には、幼稚園での出来事を誇らしげに伝えてくれたりする。 子どもらはイルカちゃんですからねぇ~。 順応性が高いのですよー。 幼稚園児の意識の中では、「私、幼稚園児に向いてるかしら?」「ちゃんと幼稚園児として振舞えるかしら?」「もしかしたら誰かにヘンな幼稚園児って思われないかしら?」などという不安が少ない。 自分が幼稚園児だ!と思えばもうすでに幼稚園児なのだ。 意識が現実を創る。 ならば、方法論はいたって簡単。 私はアセンションする。 私は光である。 私は愛に溢れた人である。 成り切る意識。そう心底思うだけで現実となる。 それが意図だ。 そして反対の例を今日チラリと拝見した。 今までの経験則に照らし合わせて、他の人をはみ出た行動だとして否定し、自分は良識ある普通の生活を続けていく、と明言されていた。 そういう意識を持っていたら、即ちそういう現実を生きるでしょう。 「自分は店員!」の意識と同じく、「自分は今までどおりの人生!」の意識だから。 そして現実は、その意識に即したものとなる。 ただし、個人の意識とは関係なくガイアの意識と宇宙の意識は大きく変わっていっている。 今までどおりの意識でいても、自然と変化してきているようである。 今までどおりでいたい!と思えば思うほど、辛く苦しくなっていくのじゃないでしょうか。 踏ん張らず、肩肘張らず、自然の流れに身を委ねてみる。 自分の心に素直に。 現実を意識で創っていこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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