2311009 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年04月09日
XML
カテゴリ:歴史さんぽ

昔ばなし もうひとつの読み方 舌切雀

 

野坂昭如(のさかあきゆき)氏著

 

 舌切雀について、違和感を覚えたのは、ぼくが、お婆さん子だったせいかも知れぬ。いや、表向きはすべて養母がとりしきり、今から四十年近い昔とすれば、それはかなり進歩的な考えにもとづいていたのだ。たとえば、お伽噺よりは、『銀の鈴』という童話集、古い「赤い鳥」などを与えられ、種痘にしても、腕の内側にほどこし、小学校三年生のぼくにきちんと眼鏡をかけさせたのである。

 しかし、裏では、祖母に密着していた、「いちのさかえ」で終る、今でいえば民話やら、各種おまじない、迷信のほうが、はるかに肌に合う感じで、ぼくは今でも、お彼岸をさかいに畳の目一つずつ、日が伸びまた縮むと信じこんでいるし、因果応報こそが人の世の姿と、生きる上での、これが基盤なのだ。

 いわば心のボスであるお婆さんが、舌切雀において、この上なくいやらしい人物にえがかれているから、とまどったのか。今、あらためて読みかえしてみると、これはお婆さんも含めて、女房なるものの悪徳、いや、特にこうきめつけることもない、女房であれば当然の性癖を、亭主の立場から完璧に指摘しているのだ。

 これと花咲爺は、女児のための教訓を含んでいるといわれるが、それは付け足しで、教訓めかしてはいても、男親がこのお伽噺を子供のために読んでやる気持の底には、どうにもてこずりもて余す女房の耳を意識し、はかない当てこすりがあるように思える。

 一つ一つあげていくなら、雀という弱いものの、つい犯した過ちを、絶対に許さないその不寛容さ、お仕置きとして舌を切る残忍性、お爺さんがかわいがっていると知りながら、雀を追放する気持、これは、亭主の気持が自分以外のものに向くことを許さない、嫉妬心といえばいいか。たぶん、お婆さんはふだんから、雀の失策をねがい、あるいは仕組みさえしたにちがいない。

 ノリをなめたからというのは、嫉妬から出た自らの行為を、正当化するものである。いったん正当化してしまったら、お爺さんの気持などてんから思いやらず、せっかく作ったノリをなめられてしまった自分を、ひたすら被害者にしたて、さらに機嫌わるく、当たり散らすそのヒステリー性。ここでお爺さんは、決して怒らず、ただ「タイソウ、カナシガル」だけなのだ。花咲爺でもそうだが、良いお爺さんは、どんなにひどい仕打をされても、常に悲しみ、考えようによっては女々しく、愛していたものの後を追う、このお伽噺をつくり上げた世間の人たちは、男の本質をちゃんと見抜いていたのだ。

 この後の、雀の身匙案じて夜の目も寝ず、明ければすぐ探しにいくお爺さんの描写に、お婆さんは直接登場しないけれど、「勝手にいきたきゃおいきなさい。お弁当なんか誰が作ってやるもんか。へっ、そんな暇があるんなら、薪の一つも割ったらどうなの、だからいつまでもこんな暮しをしてなきゃならないんだよ、おそくなったら承知しないからね」ぶつぶつと、恐ろしい形相で吐きちらすお婆さんの姿が浮き出す。そして、「私かいなかったばかりに、お気の毒なことをした。おまえに会えたのが何よりうれしい」と、いっさいお婆さんの所業を責めず、自分の責任として雀に謝るお爺さんの言葉は、少しお伽噺離れしている。

 これはまったく大人の台詞である、こじつけるなら、雀を、お爺さんが想いを寄せる相手として考えることもできるだろう、そんなふうに仕立てた、読物だか漫画を見たような気がするけれど、これはやはり浅薄なので、いわれのない罪の意識、亭主に必ず備わっているものを、ここで明らかにさせ、もって女房のふてぶてしさを浮き立たせている、このお爺さんの、切ない胸のうちは、雀に引きとめられても、「せっかくだがいろいろ用もあるから、今日はこれで帰ることにしよう」と、つぶやくあたりで、頂点に達する。

 何の「いろいろな用」があるのだ、どうして「今日はこれで」と腰を上げるのか、家には、思いやりの片鱗もない、身勝手なお婆さんが、たぶん、眼ひきつらせ、苛々と持受けるだけなのに。「どこほっつき歩いて来たんだよ、何時だと思ってやがる」お婆さんの悪態つく言葉が、空耳に聞えたにちがいない。

 お爺さんが、雀にお土産として、つづら二つを出された時の気持は、やは。りうれしかったろう、やれありがたい、中身は何か知らないが、これを持ちかえればお婆さんも少しは気分をよくするだろう、しかし、あの強欲な女だから、みなひとりじめにしてしまうにちがいない、なら、なにも重いほうを担いでいかなくってもと、せめてものお爺さんのこれが腹いせなのだ。やさしいお爺さんに対し、もし欲の皮を突っぱらせるようなら、その報いをと、雀が考えるはずはない。重いほうにも、宝物は入っていたと思う、さらに、重いつづらをえらんだからといって、欲張りともきめつけられないだろう、そんなことは、このくだりで、いっさい触れられていない、お爺さんはただ、お婆さんのために、重いつづら背負ってかえるのが、いやだった、そこまではしたくなかった、せめてもの亭主の意地なのだ。

 案の定、お婆さんはおそい帰宅を怒る、お土産もらってきたと聞いて、とたんに相好をくずす、しかし、軽いほうをえらんだと聞かされ、ふたたび逆上する。なにも軽重二つのつづらがあったなどいわなくてもいいのに、つい白状したのは、お爺さんの気持の中に、お婆さんをロ惜しがらせてやろうと、ひそかなたくらみがあったからだ。「本当に気が利かないL「そんな欲の深いことをいうもんじゃないよ」お爺さんは、巧妙にはぐらかす。

 雀の宿をたずねたお婆さんの、単刀直入なねだりかたは、むしろ滑稽なくらいだ、ぼくテキストとして読んだのは、森林太郎、鈴木三重吉監修のものだが、この文章を書いた人は、相当の、女性蔑視家であり、しかも、そのよってきたる由縁

は、ほとほと女房に于を焼いたためと思われる。さりげないディテールに、女房憎悪の情熱がうかがえ、格好の材料を得て、ふるい立ったとさえ勘ぐりたくなるのだ。重いつづらひっかつぐまでのやりとりは、なりふりかまわぬ女房の、果てしない欲どうしさをえがき、過去の仕打などけろっと忘れ、さらに礼さえのべぬ図々しさを強調して、余すところがない。

 この後、化物があらわれ、お婆さん腰を抜かして、家へたどりつくという、いわば教訓だが、他の場合、悪い動物なり人間なり、かなりひどい目にあうのに、お婆さんにかぎって、おどかされ、お爺さんに助けを求めるだけなのだ。これは、女房のふてぶてしさをあらわすものだろう、「もう欲を張るもんじゃない」と後悔するお婆さんを、気の毒にながめつつ、お爺さんは、とてもこんなことくらいで、その性根の直るわけはないと、溜息をついたにちがいない。翌日きっと、「お爺さんは知ってたんだろ、ちいさいほうをえらべと」言いってくれりゃいいのに。いいや、雀としめし合せて、私をひどい目にあわせやがったんだ。今度、雀みつけたらただじゃおかないから、何をまごまごしているんです、さっさと慟いたらどうなの」逆恨みするにきまっている。

 記達者の個人的感情は抜きにしても、舌切雀は、お伽噺という様式の中で、女房なる代物の、やりきれなさ、もちろん亭主の立場からみてのことだが、到底つきあいきれぬ存在であることを、見事に描いている。

 ぼくの幼かったころ、舌切雀にいだいた妙な感じが、何に由来するのか、考えるほどこじつけになるけれど、かなり早くから、祖母と養母の葛藤を身近にして、うんざりしていたことは確かである。漠然とじた嫌悪感の、よりはっきりした表現を、このお伽噺にたしかめて、舌切雀を、祖母や養母の前で読んではいけないと、考えたのではないか。

 それにしても、こういった深刻な話を、特に女の子にふさわしいものとして、創り上げた昔の世間のしたたかさは、立派なものである。

『宇治拾遺物語』に、この原典とおぼしきものがあるそうだが、それならもともとは大人の説話だったわけで、なにやら子供のよろこびそうな道具立て加えつつ、この話を語りついでいったのは、亭主にちがいない。女房は、主人公がお婆さんであるだけに、「そうそう、年寄りにはこういう欲張りなところがあるのよ」と、他人ごとにながめつつ、しかし、ふと自らの姿を、ここにうつしだされた気もしないではなく、遠ざけたにちがいない。お爺さんお婆さんを、お父さんお母さんに匿きかえて読めば、おのずからこの一文の、真意が浮かび上がってくる、それはもう畳叩いてころげまわりたいようなものだ。そうだ、たしかにぼくは、舌切雀を読んでいる時、養母が、いまいましそうな表情で、禁書として取上げたいのだが、なにぶん有名なお伽噺、かえって勘ぐられてもならぬと、思案している姿の覚えがある。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月26日 17時00分23秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X