カテゴリ:歴史さんぽ
また甲斐源氏の発生も、単なる系図からだけでは理解できない内容である。つまりこの名馬を産する伝統の山岳と、丘陵地帯が平安時代の中頃から、武士団が次第に頭角を現わしてくる強力な母体となった。 要するに、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の前に、その祖父源頼信や、同頼義が甲斐国司に任じられて下向し、そのころすでに八ケ岳や茅ケ岳山麓の御牧を傘下に加えはじめていた現実を、考えてみなければならないのである。 その上に立って、その子義光や義清、清光らが、その地盤の上に立って、次第に御牧を横領、庄園を立て、私牧を経営して意馬の利益を独占していった様子を読み取る必要がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月21日 13時50分09秒
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