カテゴリ:甲斐武田資料室
武田信虎、居館を甲府に移す。(甲陽)
6・20 六月二日初立て。信虎御代に□□□也。四月十六日寅時初。 8・15 八月十五日、新府中御鍬立て初む。 8・16 同十六日、信虎公御見分、 12・20 十二月二十日信虎公府中え御屋移り。 (註)甲斐国志 巻之四十五古跡部第八 屋敷跡 古府中村 武田信虎石禾の館を遷してこの所に創る。 「勝山記」を按ずるに永正十六年十二月移居する 「王代記」に六月二日鍬立とあり。晴信・勝頼三代居城なり。 端門の東躑躅崎と云山に相対するに因て当時の館の名にこれを称ス。 軍艦に此の書を「石水寺物語」と名づくるは御本城の名なれば即ち躑躅崎の御屋形を指して云うなりと有り。 信玄公御一代甲州四郡の内に城郭を構えず、 堀一重の御館に御座候とある如く一重の構えにて土も封ぜず。 平坦の地に就けり。 東西百五十間(455m)、南北百六間(320m) 土手の高さ一丈ばかり、四方に塹(ほり)あり。 門四所の区域を分かちて三郭とす。 東曲輪ー東西二十四間(7m30)、南北六十六間(20m) 中曲輪ー東西三十二間(9m70)、南北六十六間(20m) (以下略) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月25日 13時29分28秒
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