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2019年04月17日
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カテゴリ:松尾芭蕉資料室

〔芭蕉文集〕《幻佳庵の記》

 

石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。そのかみ国分寺の名を侮ふなるべし。麓に細き流を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして八幡宮たたせ給ふ。神体は彌陀の尊像とかや。唯一の家には甚だ忌むなる事を両部光をやはらげ、利益の塵を同じうし給ふもまた尊人し。日頃は人の詣でざりければ、いとど神さび物しづかなる傍に、住み拾てし草の戸あり。よもぎ根笹軒をかこみ、屋根もり壁落ちて、狐ふ狸しどを得たり。幻佳庵といふ。あるじの借何がしは勇士菅沼氏曲翠子の伯父になん侍りしを、今は八年ばかり音になりてまさに幻住老人の名をのみ残せり。

予又市中をさる事十年ばかりにして、五十年やゝ近き身は、蓑虫のみのを失ひ、蝸牛の家をはなれて、奥羽象潟の暑き日に面をこがし、高すなご歩み苦しき北海の荒磯にきびすを破りて、ことし湖水の波に漂ひ、鳰(にお)の浮集の流れとどまるべき蘆の一本の陰たのもしく、軒端ふきあらため、垣根結ひそへなどして卯月の初いとかりそめに入りし山の、やがて出でじとさへ思ひそみぬ。さすが春の名残も遠からず、つつじ咲き残り、山藤松にかゝつて時鳥しばしば過ぐる程宿かし鳥の便さへあるを、木啄のつゝくともいとはじなど、そぞろに興じて、魂は呉楚東南に走り、身は瀟湘洞庭に立つ。

山は未申にそばだち、人家よきほどに隔り、南薫峯よりおろし、北風海を浸して涼し。日枝の山、比良の高根より、辛崎の松は霞こ灯て城あり、橋あり、釣たるゝ舟あり。笠とりにかよふ木樵の聲、麓の小田に早苗とる歌、螢飛びかふ夕闇の空に、水鶏のたゝく音、美景物としてたらずといふ事なし。中にも三上山は士峯の悌にかよひて、武藏野のふるきすみかも思ひ出でられ、田上山に古人をかぞふ。さゝほが嶽、千丈が峯、袴腰といふ山あり。黒津の里はいと黒う茂りて、網代守にぞとよみけむ萬葉集の姿なりけり。

猶跳望くまなからむと、後の山に這ひのぽり、松の棚作り藁の圓座を敷きて猿の腰掛と名づく。かの海葉に巣をいとなみ、主簿峯に庵を結べる王翁徐佺がにはあらず。たゞ睡辟山民となりて、孱顔に足を投出し空山に風を揃て坐す。たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みて自ら炊ぐ。とくとくの雫を佗びて一爐のそなへいとかろし。はた昔住みけむ人の殊に心高く住みなし侍りて、たくみ春ける物ずきもなし、持佛一間を隔てゝ夜の物おさむべき処などいさゝかしつらへり。

さるを筑紫高良山の僧正は、加茂の甲斐何がしが嚴子にて、此たび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額をこふ。いとやすやすと筆を染めて、幻佳庵の三字を贈らる。頓て草庵の記念となしぬ。

すべて山居といひ、族寝といひ、さる器たくはふべくもなし。木曾の櫓笠越の菅蓑ばかり枕の上の柱に懸けたり。晝は荒くとぶらふ人次に心を動かし、あるは宮守の翁、里のをのこ共入來りて、猪の稻くひあらし、兎の豆畑にかよふなど、我が聞き知らぬ農談、日すでに山の端にかゝれば、夜座静に丹を待てば影を件ひ、燈をとつて罔兩に是非をこらす。かくいへばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらず。やゝ病身人に倦みて世をいとひし人に似たり。

つらつら年月の移りこし拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛蘺租室の扉に入らむとせしも、たよりなき風雲に身をせめ花鳥に心を労して、暫く生涯のはかりごととさへなれば、終に無能無才にしてこの一筋につながる。樂天は五臓の神を破り、老杜は痩せたり、賢愚文質のひとしからざるも、いづれか幻の栖ならずやと思ひ捨てゝ臥しぬ。






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最終更新日  2021年04月25日 11時47分27秒
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