カテゴリ:松尾芭蕉資料室
〔俳諧余話〕『一話一言』巻二十二 大田著。 はせをくら 神風や伊勢の桃取に鸚鵡蔵あり、江戸の駿河臺に芭蕉蔵有、 さればむかし松尾桃青の頃、 伊賀の上野より東都に趣れし時を馬下りの地は中坊讃州公の藩中にして、 むま見所に隣る塗込のうちに假寝せられし、杉風深川に草の廬を結びて 〔はせを庵也、古池は今に松平遠州公の樊中に残る〕 呼むかへしなり、 彼ぬりごめは、明暦の災にもかゝらで、今にめでたくときはかきの文庫なるを、 前の旭和主人「はせを蔵」と名づける。云々 はせをくら 〔權〕俳友權田某なる者さいつ年雑談のあまりに、此するが臺中坊某君の藩に、 元禄の昔はせをの翁伊賀より初て大江戸へ来り給ひ、 居を卜し蔵ありと言しにも其頃は世のたつきひまなく心にもとめざりしに、 去年霜月の頃たまく浅草へまかりしに、 古本屋にて此「はせをくら」の本をもてめ閲すれば、 彼權田氏の言ひしと實に符号せり。 ふと思ひ出して中坊公のやしきへ立寄、 舊相識服部仁左衛門央勝にたいめし折から、 此はせをくらの事を問へば、 仁左衛門言ひけるは、此三月頃より「はせをくら」修理にかゝり、 昔のごとく立かへ、今大方作事出来てと言しによて、 そのみくらを見たしと乞へば、服部氏自から案内して見せけり。 蔵は長さ五間二間計のあしたか蔵なり、 今大工たちこゝかしこをこしらへ居て、いまだ土をばぬらで有、 則そのみくらの古き材を乞得て帰り、 一つの聯にし、今御府内に樓川をつく宗匠なければ、 江戸坐古き宗匠萬葉庵平砂〔二代目〕年七十有餘、 赤ばねの邊に庵しけるを行て此「はせをくら」の古き材へ、 古池や蛙飛込 の句を題書させて、西川蔵珍とす。 此屋敷主人奈良奉行にて江戸おはしまさず、 明暦の災に此蔵残りて有りしに、 此藩中濱島〔當時家老濱島市之進〕とはせを翁と親類のよしみ有て、 濱島にたよりしに、いまだ普請も出来ず有ければ、 此土蔵のうちにはせをしばらく僑居なせしと言、 これより深川に庵を結ぶと也。云々文化六已十一月五日 西川權 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月25日 11時34分23秒
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